カテゴリー: 共に生き、共に育つ

  • 運動会のBGMで耳をふさぐ子がいたら、BGMのエフェクトを試してみよう

    ​コロナ禍ですが、秋の運動会の練習時期なので、過去の投稿を再度シェアさせていただきます。
    聴覚過敏の子の対応について。

    運動会ダンスの曲のうち、1曲目は大丈夫だけれど2曲目はとてもいやがる、という聴覚過敏の子がいます。
    耳栓などの使用も考えられるのですが、こういった、ある音楽はだめだけれど別の音楽はOKという子の場合、どういう音楽がだめなのかがわかれば、​「だめな音楽」自身に音響処理​を施して、駄目じゃなくすることが可能かもしれない、と思いました。
    具体的には、ある周波数以上とか以下とかをカットするなどの処理です。
    そういった処理で、流す音楽自体を処理してしまうことで、曲そのものを変更しなくても、大丈夫な音楽にならないか、と思いつきました。
    もし仮に、本来人には聞こえないはずの高周波を聞き取れてしまうが故にその音楽を嫌がっている子がいたとすれば、聴こえない高周波をカットするフィルタリングで、その子もほかの子と同じようにその音楽を普通に聴こえることになります。
    もしそういうことが分かれば、それはすごい大発見だと思うのです。  
    あくまで、可能性の話ですが・・・。
    ちなみに、4年前に試した時は、聴覚過敏の子に「ちょっと加工したCD」を作ってやり、渡しました。
    それを先に聞き慣れたせいなのか、もともとの曲も大丈夫になって、加工なしの原曲そのもので普通に踊れるようになりました。大笑い
    そういうことを全くやらなかったとしても結局聞き慣れて平気になった可能性もあるのですが…。
    もし参考になるのであれば幸いです。
    ↓詳しくはこちらの過去記事をお読みください。
     (過去記事では音楽波形編集ソフトを使っていますが、音楽プレイヤーの各種エフェクトボタンを押すだけでも、簡易的な効果は得られると思いますよ♪)

    ​▼​聴覚過敏対策に、音楽の超高音と超低音をカット!
     (運動会ダンス曲で耳をふさぐ子のために)

     (2017/10/01の日記)​

  • 小学1年生国語「くじらぐも」で、子ども同士が伝え合う姿に感動♪

    ​​​
    昨日参観した1年生の授業が素晴らしかった!
    教科は、「こくご」。
    「くじらぐも」です。
    「くものくじら」が空から子どもたちに「おーい」と呼びかけると、
    子どもたちが「くものくじら」のところに行こうと、空に向かってジャンプをする場面です。
    「書かせてから発表させると、書いたことしか言わないし、書けない子が言わない」ということを発見された1年生の先生が、「思ったことを書かずに伝え合う」という授業を計画されました。
    その結果、ある子の発言をほかの子どもたちが聞いて、「それで、それで?」「わかったー!」などと反応し、発言が相次ぐ授業になっていました。
    特別支援学級在籍のお子さんも何度も発言し、「〇〇さんが言っていたのは、~~ということ」など、友達の発言を受けた発言を繰り返していました。
    そんなふうに、子どもが子どもの言葉を聞いてつながっていく姿が見られた授業でした。
    子どもたちの発言はとてもつたなくて、明快でも正確でもないのですが、子どもらしい言い方が随所に見られ、むしろそのほうが、教師の説明よりもよっぽど子どもたちに伝わりやすいようでした。
    最後には「僕が思っているのはねえ、」と前に出て発表しようとした子が、教材文の中の「子どもたちが円になる」という場面を実際にどうだったか説明しようとしてほかの子どもたちを呼び集め、教室前方で手をつないで実演を始めました。
    それまでの発言でも、黒板を子どもたちに開放したために、子どもたちが黒板に書いて説明したり、動作化をして説明したりと、多様な表現方法が見られました。
    「こういう授業が、まさに理想だな」と思った授業でした!ぽっ

    新美南吉「ごんぎつね」の子どもの疑問:火をつけるいたずら「どうやってしたの?」

    国語教科書「たずねびと」の原爆について教える~井上ひさし『父と暮らせば』
    コロナウイルスの情報への接し方~「『想像力のスイッチを入れよう』応用編」
    宮澤賢治『やまなし』の「クラムボン」に意味があった!?
    「さかなやのおっちゃん」で楽しく買い物学習へつなげる

  • 現場視点のインクルーシブ教育 ~『かかわりの中で育つ通常学級『自立活動』の発想による指導』

    現場視点のインクルーシブ教育の本が増えてきています。
    僕がインクルーシブ教育について知った20年前にはまだ言葉自体もさほど知られていなかったことを思うと、隔世の感があります。
    20年前に僕は、組合の学習会で「世界の潮流はインクルーシブ教育です」と熱く語られ、「そうなんだ!」と目を輝かせました。
    「障害を理由に分離しておいて統合しようとするのはインクルーシブ教育ではない。そもそも分けないことだ」と教わりました。
    いろんな子が通常学級の中にいる、それが当たり前。
    そのことをふまえると、インクルーシブ教育とはまず第一に、通常学級の場の中で行われるべきものです。
    最近拝読したこちらの本は、通常学級の中でどんなふうにして「気になるあの子」が一緒にやっていくかを、「自立活動」の観点から書かれたものでした。

    『通常学級『自立活動』の発想による指導 (つなぐ・つなげるインクルーシブ教育)』
    (土居 裕士
    、学事出版、2021/10、税別1600円)
    通級指導などで行われている「自立活動」は通常学級の場の中で十分できるものだと提案されている本書は、今までにありそうでなかった本であり、非常に画期的な提案を含んでいます。
    現場視点に貫かれた本です。
    大変参考になるエピソードが、具体的に収録されています。
    今現場で困っている方に最適な参考書になることを、受けあいます。ウィンク
    特に印象的だったのは、シャツが出たままで無頓着な子どもに対して「おっ!シャツ王子!」と声をかけるシーン。
    土居先生は、「”子どもも、教師も、困難さと上手に付き合っていこう”という発想」「困難なことを面白がるということ」と表現されています。(同書p63)
    こういう発想が、本当に大切だなあ、と思いました。
    特別支援教育で著名な先生方には、こういった発想をお持ちの方が多いです。
    単に「障害」に向き合うときの考え方というより、もっと広範囲に、さまざまな起こりうるトラブルや困難に対して、目を吊り上げて正面突破するのではなく、笑いながらさわやかに対応するという軽やかさが大事なのだと思います。
    問題をあまりにも問題としてとらえすぎてしまうと、問題が問題として固定化されてしまう、ということがよくあります。
    ユーモアをもって、明るく楽しく、問題を「無問題」に変えていきたいですね。大笑い
    さて、学校生活の大部分が授業ですので、授業におけるインクルーシブ教育をどう進めるかにも、少しだけふれておきたいと思います。
    授業におけるインクルーシブ教育こそ、もっとも子どもたちが直面している「問題」です。
    これを明るく軽やかに解決できれば、日本中のインクルーシブ教育は、成ったも同然です。
    これについては、僕は「1人ではできないことでも、みんなの中でならできる。子どもの力を借りることだ」ということを強く思っています。
    そういう意味で言うと、いわゆる「協同学習」という形態が、特にインクルーシブ教育を進めていく上では望ましいと思います。
    (上越教育大学の西川純先生は、似たような概念で『学び合い』ということを提唱されています。)
    本書の中でも協同学習のことはふれられていますが、協同学習を実施する上で先んじて行うべきことが、本書では強く訴えられています。
    それは、「協同の精神」です。


    ・共同の精神とは「自分の学びが仲間の役に立ち、仲間の学びが自分の役に立つ」というものです。
     これを折に触れ、何度も何度も共有していきます。これは絶対条件です。
     (p93)


    「この精神あってこその、協同学習である」という主張に、強く共感しました。
    アドラー心理学では、「幸福とは、貢献感である」ということが言われています。
    相互に幸せを分かち合うクラス集団は、お互いがお互いに貢献し合い、協同して貢献を行っていけるクラス集団であると思います。
    「何のために学ぶのか」が、自分のためであっては、協同学習は成り立たないのです。
    本書で書かれているような通常学級におけるインクルーシブ教育を考えることで、社会全体の望ましい姿も、その先に見えてくると思います。
    日本中のインクルーシブ教育実践が今後ますます進んでいくことを、心より願っています。ぽっ

    気持ちの切り替えが苦手な子には、パペット
     (2021/10/18の日記)
    二見妙子『インクルーシブ教育の源流 1970年代の豊中市における原学級保障運動』
     (2018/08/12の日記)
    「インクルーシブ教育」を考えるテキスト『「みんなの学校」をつくるために』
     (2020/07/25の日記)
    インクルーシブ教育について考えさせられる新聞連載「眠りの森のじきしん」
     (2020/05/17の日記)

  • イライラして怒ってしまう理由を、相手ではなく、自分に見つけた話


    GWなので自分の子どもと一緒に過ごす時間が増えました。
    それはいいのですが、そうなると、イライラして怒ってしまう時間も増えました。しょんぼり
    たとえば、「ご飯だよ」と言っても、来ない。
    2度3度同じことを言わせる。
    そうすると、腹が立つ。
    だいたい一事が万事、こんな調子です。
    そういうことが続くと、気持ちが落ち着かなくなって、ちょっとしたことで怒るようになりました。
    さすがに、これはヤバいと思い、落ち着いて考えるようにしました。
    昨日、寝るときに、布団の中で、考えました。
    そもそも、​自分は怒るつもりはないのに、「怒ってしまう」のは、なぜなのか?​
    アドラー心理学の本には、「怒り」とは出し入れ自由な感情であり、自動的に怒ってしまうのではなく、怒ることを自分で選んでいるのだと、書かれていました。
    しかし、今の自分の状況は、同じことが何度も続くなどの状況から、どうやら自動的に怒ってしまうのです。
    そして、自分も、疲弊しているのです。
    考えに、考えて、ある一つの結論に達しました。
    自分が、怒ってしまう理由。
    それは、「自分をえらいと思っているから」。
    大人が子どもを怒るのは、大人が子どもよりもえらいと思っているから。
    自分が正しいと思っているのに、相手が言うことをきかないと、怒ってしまいます。
    それは、自分が相手よりもえらいから、相手は自分の言うことをきくべきだと、暗に思っているのです。
    「そうか」とストンと落ちました。
    怒ってしまう状況も、自分をえらいと思っていることが原因なら、自分で直すことができます。
    自分をえらいと思ってしまうことは、そもそも本意ではありません。
    それに気付いた後は、同じことを何度も言い続けることができるようになりました。
    怒っても、怒らなくても、同じことを何度も言わなければいけないのは、同じです。
    結果は、変わりませんでした。
    ただ、自分が疲れないように、なりました。
    「怒る」ことは、ときには必要かもしれません。
    しかし、「怒ってばっかりで自分が疲れる」と思った時、
    「自分のことをえらいと思っているからだ」という視点で自分を見ると、
    事態は少し、変わってきました。ぽっ

  • イタリアのフルインクルーシブ教育について、お話を聞きました!


    昨日の夜に、オンラインで、イタリアのフルインクルーシブ教育についてお話をうかがうことができました。
    インクルーシブ教育とは、簡単に言うと、障害のある子もない子も、同じ場所でともに学ぶ教育のことです。
    イタリアは日本のように特別支援学校や特別支援学級がなく、障害があってもなくても、通常学級の中で、すべての子どもたちが一緒に学んでいるそうです。
    今回のオンラインの勉強会は、「イタリアのフルインクルーシブ教育に関する本を翻訳出版する」というプロジェクトがクラウドファンディングであり、その応援をしたことをきっかけに、ご案内いただいたものです。
    ▼​イタリアのフルインクルーシブ教育の全体像を紹介する書籍を出版したい!!
     (CAMPFIREクラウドファンディングサイト)
    イタリアの教育をよく知る方々から貴重なお話が直接聞けて、とても有意義でした。大笑い
    イタリアの状況を具体的に知るにつけ、「それは、いいなあ」と思うことが、たくさんありました。
    たとえば、通常学級の定員です。(イタリアには通常学級しかないのですが。)
    通常学級の定員は27名と決まっており、これだけでも日本よりもずいぶん少ないのですが、さらに、障害のある子がその中にいた場合、定員はさらに少なくなり、大きすぎる集団でともに学ぶことはないようになっているそうです。
    僕が今まで見てきた教室のことを考えても、35人学級や40人学級の定員ギリギリいっぱいのクラスは余裕がなくて、少人数学級のほうが担任にも子どもたちにも余裕があるように見えたので、こういった仕組みは、「なるほど」と思いました。
    また、小学校教育においてはカリキュラムや学習内容などにおいてもイタリアのほうが余裕があり、障害があってもなくても、一緒に楽しく過ごせる場面が多くあるようです。
    「日本でも見習いたい」と思ったことが、たくさんありました。
    このクラウドファンディングでは、支援していただける方をまだ募集しているようです。
    興味・関心がある方は、ぜひ!大笑い
    今回の本の出版以前にも、イタリアのインクルーシブ教育について書かれた本を出されていたことも、昨日の会で知りました。

    『イタリアで見つけた共生社会のヒント フル・インクルーシブ教育に基づく人々の暮らし』
    [ 2 0 1 9 年度地域コアリーダープログラム・イタリア派遣団 ]

    僕は、もともと教職員組合の勉強会でインクルーシブ教育について知り、その後も組合のインクルーシブ教育にかかわっておられる方や、つながっておられる方から、学んできました。
    今回、組合とは関係ない方でもインクルーシブ教育について推進されようとしている方がたくさんいらっしゃることを知って、勇気をもらいました。
    日本でのインクルーシブ教育実現に向けて、自分もまだまだやれることがある、と思いました。大笑い
    実は8月23日の今日は、日本のインクルーシブ教育について、国連で話し合われる日でした。
    どうなったかな・・・?

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