昨日は神戸で「インクルーシブ教育」についての学習会があり、話をしてきました。
内容を詰め込みすぎて、時間を超過してしまったのが、反省点です・・・。
今日は、簡単に、そのときのスライドの最後の部分だけ、転載します。

最後のほうで「Great power」の歌詞を紹介し、「ものさし」の話をしました。
「いろんなものさしが あっていい」という話です。
時間がなかったので駆け足でしたが、「Great power」の歌もちょろっと歌いました。![]()
最近僕はスライド付きの話を頼まれた際に、歌を入れる傾向が強まっています。
当初のスライド案では別の曲でしたが、「ここは、やっぱり、この歌だろう」ということで、「Great power」に。
#誰も歌の注文なんてしていない
「Great power」は学校の先生である中山真理さんが子どもたちのために作詞・作曲された歌。
僕はこの曲が大好きで、前任校の学習会の講師で呼ばれた時も、この曲を紹介し、ちょろっと歌いました。![]()
この冒頭の歌詞は、ほんとうにすばらしい。
ブログだとリンクを貼り付けられるので、曲が聴けるリンクを貼り付けておきますね。
(有料の音源なので、試聴できるのは冒頭だけですが・・・)
▼Great Power 同声二部(合唱:音源 ピアノ伴奏+合唱)
(東書Webショップ内)
↓楽譜は、この曲集に入っています。
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『Great power 教室から生まれたクラス合唱曲集会・行事の歌』
[ 音楽之友社 ]
子どもたちのために作られた歌の中には、いい歌がいっぱいあるので、広くいろんな人に知ってもらいたいな、と思っています。
「歌付きで話をしていい」という依頼があれば、全国どこでも飛んでいきますので、もしそういうニーズがあれば、お知らせください。![]()
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▼♪「おそすぎないうちに」~自分のいのちを大切にして生きよう~
月: 2024年6月
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「この世界には数えきれないたくさんのものさしがある」~「Great power」の歌詞より
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「どんなあなたも みんな好きだから」~「Smile Again」の歌詞より
昨日のブログで、中山真理さんが学校の子どもたちのためにつくられた曲「Great Power」(グレイト・パワー)の紹介をしました。
この先生の作られた曲には、ほかにも、名曲がたくさんあります。
歌詞が子どもたちの目線でつづられているものが多く、心に訴えかけてくるものがあります。
昨日中山真理さんのお名前で検索していたら、次の曲を見つけました。
井上あずみさんによる、「Smile Again」です。

▼Smile Again(井上あずみ、作詞・作曲:中山真理、アルバム「出会いと旅立ちの歌」収録曲、2007、Apple Music)
井上あずみさんは、言わずと知れた、「となりのトトロ」「君をのせて」などの有名なジブリソングを歌われている歌手の方です。
その方が、中山真理さんの「Smile Again」を歌われているなんて!
この方の声は、この歌にぴったりだと思います。
ぜひ、お聴きください。
前回の「Great Power」同様、この曲も歌詞があまりにも素晴らしいので、道徳が教科化する前には、この曲を題材にした道徳の授業を考えられた先生がいたものです。
井上あずみバージョンでは「アゲイン」を強調して歌われています。
僕はずっと「スマイルアゲイン」を続けて「スマイラゲン」と歌っていたので、少し違和感を持ちましたが、なるほど、「アゲイン」を強調する歌い方もありだなあ、と思いました。
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【紹介】「日本型インクルーシブ教育への挑戦 ― 大阪の「原学級保障」と特別支援教育の間で生じる葛藤とその超克 ―」(ネットで無料で読める論文)
「インクルーシブ教育」について考えを深めたいところ、こんな論文をネットで見つけました。

「日本型インクルーシブ教育への挑戦
― 大阪の「原学級保障」と特別支援教育の間で生じる葛藤とその超克 ―」
(原 田 琢 也・濱 元 伸 彦・堀 家 由妃代・竹 内 慶 至・新 谷 龍太朗、2020-03-31)
タイトルからして、非常に興味深いと思いました。
単なる「インクルーシブ教育」ではなく、「日本型インクルーシブ教育」となっています。
「インクルーシブ教育」は世界の潮流であり、世界ではスタンダードになりつつあります。
しかし、日本でそのまま外国のまねをしようとしてもなかなかうまくいかない・・・。
だからこそ、「日本型インクルーシブ教育」が求められているのです。
この論文では、すでにあるその代表的なものとして、大阪の「原学級保障」が具体的に取り上げられています。
「原学級保障」とは、支援学級在籍の児童生徒が、通常学級にこそもともとの学籍がある(=原学級)ことを何よりも重視し、通常学級の教室で他の子どもたちと共に過ごし共に学ぶことを保障してきた、大阪近辺で行なわれている取組のことです。
この論文では、5人の研究者が5つの学校を継続的に訪問された結果、それぞれの学校での様子を、客観的な視点で報告されています。
こういった論文をネットで読める形にしていてくださるのは、とてもありがたい!
誰でも下のリンク先にアクセスすれば、無料ですぐに読めますので、ぜひ、ご覧になってください。
https://kinjo.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=17&item_id=1123&item_no=1
(金城学院大学リポジトリ内 該当論文のページ)
ダウンロードすれば後からでも読めます。
PDFファイルなので、Edgeで開けば、本文に部分的に色を付けることもできます。
僕は、デジタルでもアナログでも、線を引きまくりました!
全部拝読しましたが、自分がやっていることとつながることが、かなりありました。
自分がやっている「自分流インクルーシブ教育」と言えるものについて、「こういうのもありなんだよなあ」と知れて、勇気をもらえる内容でした。
その一方で、今の日本の学校制度がもつ課題も、かなり明らかになっていると思えました。
それはたとえば「硬直性」(p32)などの言葉で随所に語られていました。
「日本型インクルーシブ教育」の道は決して平坦ではありませんが、あきらめずに少しずつでも前に進めていきたいと思います。
「インクルーシブな学校は、つねに進行している学校である」
(p46、ブースとエインスコウの言葉より)

▼「共に学ぶ教育」とは( 「普通学級での障害児教育」本の内容まとめ2)
(2006/07/28の日記)
▼インクルーシブ教育:推進へ法的整備を -豊中シンポ(毎日新聞)
(2010/03/01の日記) -
今の「教育」の根本的な問題とは!? ~『「共に生きる教育」宣言』その1
「インクルーシブ教育」関係の投稿を、もうちょっと続けます。

今読み返した本と、昨日読んだ別の本の内容が自分の中でバチッとつながったので、そのことを書きます。
僕が初任の頃には、「障害児教育は教育の原点である」といったことを教わりました。
そして、「障害のある子もない子も、同じ場所で共に生き、共に学ぶ」という方向性を教わりました。
では、さらにその「教育」の原点をつきつめていくと、何になるのか?
「共に生きる教育」についてかなり詳しく書かれている以下の本には、冒頭で次のように書かれています。

『「共に生きる教育」宣言』
(堀 正嗣、解放出版社、2022/7、税別1800円)
・徹底的に子どもの側に立って、愛情をもってありのままの姿を肯定するのか、
能力主義や優生思想の影響を受けて、子どものありのままの姿を認めることができないのか、
このことが根本の問題だと考えています。
(上掲書p13より)
「上のことと同じことかな」と思った、最近出た本の中の別の表現が、以下のものです。

『冒険の書 AI時代のアンラーニング』
(孫 泰蔵、日経BP、2023/2、税別1600円)
・評価は人から自信を奪ってしまう。
(p182)
・「誠実に、心をこめて、相手の良さを認める。」
(p186、デール・カーネギー『人を動かす』の中の言葉)
上の本は全くインクルーシブ教育について書かれた本ではないのですが、それだけに、今までの学校教育における「評価」の問題点にふれ、代替案を示されていたことに、大変感銘を受けました。
『冒険の書』のp186において、筆者は「評価」に代わるものとして、デール・カーネギーの「アプリシエーション(appreciation)」というキーワードを示されています。
「アプリシエーション(appreciation)」には「尊敬」「愛情」「感謝」(p188)という意味があり、他者を評価する代わりにそのようなまなざしで見ることが提案されています。
学校教育における「評価」や「能力主義的価値観」は、見直されるべき時に来ています。
次回も、『「共に生きる教育」宣言』の別のページを引用させていただきながら、「能力」ということをどう見るのかを考えていきたいと思います。
つづきます!

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「インクルーシブ教育」がなぜ必要なのか~『「共に生きる教育」宣言』などから考える その2
前回(▼今の「教育」の根本的な問題とは!? ~『「共に生きる教育」宣言』その1)の続きです。
「インクルーシブ教育」がなぜ必要なのか
という、根本的な部分に関わる話です。

以下の本には、次のようなことが、冒頭に書かれています。

『「共に生きる教育」宣言』
(堀 正嗣、解放出版社、2022/7、税別1800円)
・分けられる子どもの悲しみとか、苦しみとか、恐怖といったものについて多くの人はあまりにも知らなすぎる。鈍感すぎる
(上掲書p14より)
本書の著述は、著者自身の体験を通して書かれていることだけに、説得力があります。
日本は国連から「分離教育であり、やめるべきである」と勧告されたように、「障害がある子のための学校」を別に用意してきました。
場合によっては兄弟姉妹で同じ学校に通えなかったり、障害を理由に居住地から遠く離れた学校に通わねばならないといった実態がありました。
これは、あきらかに差別であり、当事者の声に耳を傾けて是正していかなければならないことです。
地域の学校が地域の子どものためのものであるならば、どこまでも、地域の子どもたちにとってベストなものを、追求していかなければなりません。
どのような子どもであっても、受け入れ、いっしょにやっていく覚悟が、「学校」には必要です。
そして、そのうえで、前回僕が問題にした「能力」を「評価」するという、今の学校教育の大前提についても、考えていかなければなりません。
上掲書の続きのページには、以下のようなことが書かれています。
・なぜこのような「関係からの排除」が生じるのでしょうか。
「能力」で子どもを価値づける教育がおこなわれていることが根本的な原因だと私は思います。
(p15より)
学校教育は「能力」の呪縛に縛られており、なかなか自由にはなり得ません。
ただ、「別の観点で子どもを見る教育」が昔からすでにあったことは、知っておかなければならないと思います。
僕が今読んでいる次の本などは、「能力」と「学校」についてかなり興味深い考察をしており、オススメです。

『学びの本質を解きほぐす』
(池田 賢市、新泉社、2021、2200円)
上の本はとにかくおもしろくて勉強になったので、また機会を改めて詳しく紹介しますね。
今回、このブログを書くにあたって、関連する情報を調べていたら、以下の論文に行き当たりました。
僕が以前からよくお名前をお聞きしている方が、どんな実践を学校でされてきたのかが書いてあり、驚きました。
▼分離教育システムに抗する実践と社会モデル
――普通学級就学運動における「同一空間・同一教材」「共育」に注目して
(藤原良太(立命館大学 生存学研究所客員研究員))
昔も今も、目の前の子どもたちのために、「能力」にこだわらずどんな子も受け入れて一緒にやっていこうとしてきた取組があるのですね。
大切なことは、ずっと変わらない。
新時代の教育を考えるにあたっては、そういった、変わらないものをきちんと受け継いだうえで、さらにその続きを考えていきたいと思います。
また、次の資料も、「共生の教育」を考えるうえで、大変参考になりました。
▼「共生共育」の思想
──1970 年代における子供問題研究会の歴史から──
(名寄市立大学 堀智久)
以前のブログで大阪の「共生の教育」を報告した論文をご紹介しましたが、今回、東京での「共生の教育」が約50年前にどうであったかを示した別の論文も発見しました。
▼1970年代初期の関東の障害児統合教育の始まり
(久米祐子、九州大学学術情報リポジトリ「教育基礎学研究」第14号,2016)
前も書きましたが、ネット上でこういった貴重な情報が論文としてまとめられていることに、心から感謝を表したいと思います。

▼「共に学ぶ教育」とは( 「普通学級での障害児教育」本の内容まとめ2)
(2006/07/28の日記)