先ほど、家族で晩ご飯を食べている時に、録画の「珍百景」を観ました。
中華料理屋さんの店主が、厨房でおどりながら料理をつくっていました。![]()
▼おかしな動きで作る中華料理店(2023/11/26放送回)
朝の「題名のない音楽会」で左利きの指揮者出口大地さんの指揮を見た時にも感じましたが、
自分の動きを劇化・ダンス化する
というのは、究極の、楽しくなる技術です!
僕も見習って、おどりながら仕事し、おどりながら生活しようと思いました。![]()
楽しくするのは、動きから。
心より先に、動きがあります。
楽しく動くから、楽しくなるのだ♪![]()
今週は仕事に追われていて疲れていたのですが、
「あんたは疲れるように仕事しているから、疲れるのや。
この人たちを見てみい。
こうやって動いている方が、疲れないんや」
と、神様から教えていただいた気がします。![]()
おどりながら 仕事しよう

投稿者: にかとま
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おどりながら仕事しよう(^o^)
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にしゃんたの「共笑」(ともえ)思想
昨日のブログ記事は、「おどりながら仕事しよう(^o^)」でした。
楽しそうにお話をされる方として思い浮かぶのは、先日丹波市の人権講演会でお話を聞いた「にしゃんた」さんです。
スリランカから、40年前に日本に来られた方。
来日当時は17歳だったそうです。
講演会では、にこやかに、明るく、それでいて、伝えたいことはハッキリと、お話しされました。
↓にしゃんたさんの公式サイト▼にしゃんた OFFICIAL ⭐️ タレント・大学教授・講演会人気講師・ミスターダイバーシティ (nishan.jp)
上のサイトの中にも書いてありますが、講演会の中で、にしゃんたさんは、次のように言われました。
・共生という言葉がありますが、ただ共に生きるだけでは不十分です。
僕は「共生」という言葉を好んで使っているところがありましたので、この言葉にドキッとしました。
にしゃんたさんは、
「共に生きているだけだったら、今も、共に生きてはいるんだ。
でも、それだけじゃ不十分なんだ」
と訴えられました。
※講演内容の詳細は公開を差し控えさせていただきます。
そして、「共に笑う」=「共笑」(ともえ)こそが大切である、と話されました。
「みんな笑うことに、しつこく、執着してほしい」と訴えられました。
僕は、大変共感しながら、聞いていました。
共に、笑おう

▼ 「インクルーシブ教育」がなぜ必要なのか~『「共に生きる教育」宣言』などから考える その2
(2023/07/08の日記)
▼二見妙子『インクルーシブ教育の源流 1970年代の豊中市における原学級保障運動』
(2018/08/12の日記)
▼人権週間に読みたい本 前田良『パパは女子高生だった』
(2020/12/07の日記) -
ファミコン音源をオーケストラ楽器で演奏!「この道わが旅」
どうしてもYouTube化しておきたいゲーム音楽があったので、この土日に制作しました。
ファミコンの名作「ドラゴンクエストⅡ」のエンディング曲「この道わが旅」です。ネット上で見つけた情報では、なんと、この曲を卒業式で歌う学校もあるのだとか。

▼ドラクエ2『この道わが旅』エンディングテーマ曲
(「世界の民謡・童謡」様)
演奏したい人や楽曲分析をしたい人のために、楽譜とドレミを表示させています。
作曲は、ドラゴンクエストの作曲家としておなみの、すぎやまこういちさんです。
この曲は、大名曲ですね。
のちに、歌詞がついたバージョンも歌われました。
(歌詞付き歌バージョンも作って、そのうち公開します!)
▼「この道わが旅」歌詞
(Uta-Net)
ファミコン音源なので基本、3パートによる演奏です。
後半、3半音上に転調していますが、ハ長調の楽譜のままドレミ表示をしています。
楽譜を見てみると、3パートのそれぞれの役割や絡ませ方がよく分かります。
楽譜再生ソフト:カワイ「スコアメーカー」
音源:Miroslav Philharmonik 2(オーケストラ音源)
パート1(主旋律):Flute(フルート)
パート2:Marimba(マリンバ)
パート3:Piano(ピアノ)
タイトル画像:Canvaで作成
ファミコン音源での演奏もとてもいいのですが、今回は実際の楽器を録音して鳴らしているオーケストラ音源で再生してみました。
主旋律の音の高さがかなり高いので、フルートを当てています。
フルートの音色が、心にしみる、すばらしい動画に仕上がりました。
楽譜を見ることで、すぎやまこういちさんの作曲技巧の秘密が「見える」ようになっています。
僕は、「なるほど!こうなっていたのか!」と気づかされることがたくさんありました。
すぎやまこういちさんの作曲技法でよくあるパターンを分かりやすく教えてくださる動画に、以下の動画があります。参考までに、はりつけさせていただきます。
※すぎやまこういち氏楽曲っぽい要素集【ドラクエ楽曲あるある】
(マツケん/ MatsukeN様)ファミコンは3パートしか音が出せないという制約がありましたが、だからこそ、制約の中から生まれたとんでもない名曲の数々があります。
以前動画を作成した「MOTHER」の曲も、そのひとつです。
#この曲も、大好き!
ここからは、さらに余談です。
「ドラクエ」や「MOTHER」のようなRPGはまだマシかもしれませんが、ファミコンで使える音数については、ただでさえパート数が限られているのに、「効果音」が重なってくると、さらに使える音数が減るということがありました。
当時の作曲家は、そのため、かなり苦労されたようです。
そのあたりの苦労と工夫は、「スターソルジャー」の作曲者国本剛章さんがYouTubeで語っておられます。以下の動画では、4パートで演奏する理想形から、苦肉の策で2パートに圧縮した実例が語られており、大変興味深いです。ファミコン音源愛好者は必見です!

▼ファミコン40周年! 思い出の学習ゲーム「けいさんゲーム」の話を
(2023/07/16の日記)
▼米光一成『仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本』
(2010/02/04の日記)
▼スーパーマリオのテーマ曲をカンタンに演奏しよう!
(2023/05/08の日記) -
「漢字50問テスト」で書けない子への支援
「漢字50問テスト」というのがあります。

(写真提供:写真AC。僕の学校の実際のテストではありません。)
漢字の苦手な子が、これに苦しんでいます。
ほとんど点数がとれないのに、「テストだから自分でがんばれ」と個人の努力に任されていることが、よくあります。
そういったお子さんは、45分のテスト時間中、「分からない」「書けない」という思いをずっと持たされ続けています。
僕はよく通常学級の授業に入らせてもらっているので、ときには、
「教師が、この子もみんなと同じ条件でさせることにこだわっているから、この子にとって、この時間が意味のあるものになっていない」
という指摘をさせていただくことがあります。
ただ、担任の先生も、
「この子にはこの子に合った支援がいるとは思うが、テストの時にどんな支援ができるのか思い当たらない」
という場合が、多々あるようです。
そのため僕が教室に入らせてもらったときに、僕の方で支援をさせてもらって、それが有効だということを本人や担任が実感されたら、
「同じようなかたちで、よかったら、今後も担任がしてあげてください」
とお伝えすることがあります。
支援に関してはケースバイケースなのですが、今日入らせてもらった教室の場合、
「テストに余分があれば、僕にも1枚、いただけますか」
「その1枚を使って、Aさんに支援をしてもいいですか」
と、事前に担任に伝えていました。
Aさんは通級指導で担当させてもらっているお子さんで、今年度だけでなく、経年で見させてもらっているお子さんです。
僕は、テストの回答欄に、正解の漢字を半分書いて、テストを折りたたんでAさんの机上に置きました。
正解の漢字を完全に教えてしまうわけではないけれど、書き出しの半分は見せてやって、後の半分をAさんが思い出すことができれば漢字を書けるようにしたわけです。
折りたたんだのは、一度にヒントが見える問題数を限定するためです。
さて、こういった支援を受け入れるかどうかは、Aさん自身が決めることです。
「こんなの作ったけど、いる?」
と小声で伝えました。
お仕着せの支援になってはいけないので、いらなさそうにしていたら、すぐに引っ込めるつもりでいました。
Aさんは、いらない支援を手で払いのけるようにしっかりと拒絶できる子です。
僕は今まで何度もAさんに「そんなことしていらん」と拒絶されてきたのですが、
今回のAさんは、「それがあるなら、助かる」といった顔をしました。
そして、自力ではほとんど無回答だったのが、漢字の半分をヒントで示されたことで、俄然意欲的になり、どんどん漢字を書いていきました。
結果的には、今までで一番漢字を書いて提出した漢字テストとなりました。
テストに関しては、まだまだ、「みんな同じ」にこだわる風潮があります。
ただ、僕は、たとえば0点のテストを子どもがとったとしたら、それは子どもの責任ではなく、学校の責任だと思います。
学校が子どもに「できない」思いをさせて帰してしまっては、いけません。
逆に、「できる」という思いをさせて帰さなければなりません。
それが、優先事項です。
「テストはみんなに同じやり方でやらせて、同一基準で評価したい」というのは、教師の都合です。
それよりも、子どもの事情のほうが、はるかに重要で、優先されるべきだと思っています。
こういった「この子に必要な特別扱い」のことを、近年は「合理的配慮」というようになりました。
「合理的配慮」とは、みんなと同じことをすることが難しい場合に、その子・その人に合った個別の変更や調整をおこなうことを指します。
「合理的配慮」は、しないことが差別なのであって、それをすることで、その子はようやく他の子と同じように同じ場で学習することができるのです。
今回の僕のやり方(正解の漢字の半分を書いて見せて机上に置いてやるやり方)が適切だったかどうかは、検証しなければなりません。
しかし、どういったやり方であれ、「何かしなければこの子の学習が保障できない」ということが分かっているのであれば、「何もしない」という放置は、子どもを苦しめるだけです。
必要なことがはっきりしなかったとしても、とりあえず思いついた支援をやってみて、そしてその支援について後から検証していき、よりよい支援を考えていけばいいのです。
僕はそう思っています。
あなたは、どう思われますか?

▼「通常学級内での通級担当による支援」
(2023/06/28の日記)
▼「広島県の小学5年生の合理的配慮への道!」
(2021/10/17の日記)
▼小学校市販テストの合理的配慮等(正進社のパンフレットより)
(2019/05/19の日記)
▼業者テストの「ルビうち」が標準対応に!
(2017/06/10の日記) -
算数の「テスト」で書けない子への支援
昨日は、漢字が書けない子の、漢字テストでの支援について書きました。
▼ 「漢字50問テスト」で書けない子への支援
今日も、同じような話題で、続けます。
「テスト」というのは、学校ではかなり重要視されています。
ただ、それがあまりにも絶対的なものとして君臨しているのは、学校の本質的な存在意義を考えると、おかしなことではないか、と思っています。
僕は、「学校」の本質的な存在意義は、子どもたちが集団で学び合うところにあると思っています。
「テスト」が子どもたちのあいだに分断を生んでいないでしょうか。
「テストができない子は別の場所で」と言われて、分離教育につながっているようなことは、ないでしょうか。
日本が真にインクルーシブ教育を進めようとするなら、テストの問題は、避けては通れません。
「テスト」が、ある子どもを苦しめるものになっていないでしょうか。
「テストとはそういうものだから」と教師の側が思考停止になっていて、子どもを追い詰めていることもあるように、思います。
僕は、「テスト」についても、「子どもファースト」で考えたいです。
テストについては特に、昔ながらのかなり強固な慣例があるので、ここを変革すると一気に変わる気もしています。
現場の子どもたちの実態にそくして、改めてしっかりと考えていきたい、と思っています。
今日は、算数のテストに同室支援で入りました。
わり算の筆算で困っている子に、ちっちゃい九九表を渡して、それを見てやってもいい、という支援をしました。

(写真提供:写真AC。僕の学校の実際のテストではありません。)
九九を覚えていない子は、わり算の筆算なんて、できなくて当然なわけですが、そうすると、テストの時間がその子にとって、ただ苦痛なだけの時間になってしまいます。
算数の場合、「九九表を見ながらやってもよい」というのは、僕は、支援としてはアリだと思っています。
九九表があるからと言って、それで点数がとれるわけではないのですが、少なくとも「これがあればできるかもしれないから、やってみよう」と思えるきっかけには、なっているようです。
「テスト」の支援、いろいろな方々と議論しながら、ホンネのところを交流したいテーマです。
昨日と今日の、僕の書き込みは、人によっては、「テストなんだから自力でさせなくてはいけない。なんでそんなことをやっているのか。考えられない」と思って読まれた方も、いるのでは、と思います。
いろんな方と、いろんな意見を、交流したいと思います。
僕も、自分がやっていることが正しいと思ってこうやって書いているわけではなく、目の前の子どもたちにどんなことができるだろうと、迷いながら、いろいろ試している最中です。
ぜひ、コメント欄等で、お考えをお聞かせください。

▼「学習障害」やその「進路」 ~井上智さんの本をおすすめします!
(2020/07/19の日記)