理想の学校?? (映画ドラえもん「のび太と空の理想郷」をもとに考察)
鴻上尚史さんの『ロンドン・デイズ』の読書メモを書いている途中ですが、別の話を少し挟みます。
昨日の話にすごく関連する話です。
昨日の話は、僕はすごく重要な話だと思っていて、そのことをけっこうずっと考えていました。
そんななか、このあいだテレビで昨年の劇場版「ドラえもん」が放送されていたのですが、そのなかの「学校」が、まさに鴻上尚史さんが指摘された状況そのものだな、と思ったのです。
昨年の劇場版「ドラえもん」というのは、「のび太と空の理想郷(ユートピア)」というやつです。
#久しぶりに映画「ドラえもん」を観ました。
#子どもの頃は、ずっと観ていました。
映画ドラえもん 「のび太と空の理想郷」 DVD
※今から書く内容は、この映画の重要なネタバレを含みます。
この映画を今から観るのを楽しみにしている人は、読まないでください。
映画の中で、ドラえもんやのび太たちは、理想郷(ユートピア)を探します。
そして、ついに、たどりつきます。
その理想郷(ユートピア)には、学校がありました。
その学校に通えば、どんな子どもも、パーフェクトになれるという学校です。
スネ夫やジャイアンの、意地悪なところや乱暴なところは、どんどんなくなっていきます。
でも、のび太だけは、いつまでたっても、変わりません。
みんながやさしく応援してくれて、励ましてくれることが、毎日続きます。
ここまでだと、「ああ、いい学校だ」というふうになると思いますが、この話にはウラがありました。
この学校がめざしていた「パーフェクトな子ども」とは、
「言うことを聞く都合のいい人間になること」だったのです。
まさに、昨日の日記で僕が引用した、鴻上さんの「権力の最高の快感は人間を操縦すること」というのを地で行く設定が、「ドラえもん」の映画の中でなされていたのでした。
「理想郷」というテーマで、子ども向けの映画で、まさかこういった設定を入れてくるとは、いい意味で裏切られました。
最近のドラえもん映画も、やりますね。
物事を立体的に、複合的に見ること、逆の立場から考えたり、批判的に考えたりすることは、とても大事なことです。
「理想」というのは、表面的によいことのように見えても、実は、ウラがあるのかもしれないのです。
その恐ろしさに気づかせてくれる、見事な映画だと思いました。
実は、録画を少しずつ観ているので、まだ観終わっていません。
最後まで観てみようと思います。
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