言葉の勉強は、7割が聞くことだ。(鴻上尚史『ロンドン・デイズ』その1)
先日の日記で少しだけ紹介した鴻上尚史さんの『ロンドン・デイズ』。
『ロンドン・デイズ』[ 鴻上尚史 ]
【リンクは電子書籍版】
演出家の鴻上尚史さんが英語を猛勉強して演劇教育の本場イギリスに短期留学した際の、大変詳細なレポートです。
本書では、演劇の話と同じくらい、英語教育の話が出てきます。
実際にイギリスに行って、自分が勉強してきた英語が通じるかどうかを実地で体験しておられる方のレポートなので、非常に参考になります。
その中で、次のような記述があります。
・英語の勉強は、7割が聞くことだ
・あとの2割がしゃべること。
・読むことが1割。
・書くことなんて、無視していい
・それが、外国で生き残る英語である。
(同書p116より)
英語教育ではしばしば言われてきたことではあります。
ただ、日本の教育は、まだまだ読み書き偏重のきらいがあります。
ペーパーテストを重視しすぎる日本の教育の問題が、あらわれているのではないかと思います。
僕は、英語だけでなく、日本語も、同じだと思います。
日本語=「国語」ですね。
どうにも読み書きを重視しすぎるのでは、と思っています。
その結果、読み書き中心の学習についてこれない子どもをつくってしまっている、というふうに思います。
もし、言葉の勉強の7割が聞くことだとすれば、発語のないお子さんも、クラス集団の中にいて、たくさんの友だちの言葉を聞くことで、すごく学んでいることになります。
僕は、いろんな子どもが同じ場所で共に学ぶ「インクルーシブ教育」が必要だと訴えてきました。
もし、鴻上さんが言われる「英語の勉強は、7割が聞くこと」が、すべての言葉に関する勉強に通じることだとすると、みんなと同じようにしゃべれないから、読めないから、書けないから、という理由で、クラスから排除することは、言語の習得という面から言っても、ナンセンスだということになります。
みなさんは、どう思われますでしょうか?
一見すると何も学んでいないように見える子どもでも、けっこう話は聞いているものです。
日本ではペーパーテストで点数がとれないと、「学べていない。習得出来ていない」と評価してしまいがちですが、本人の話を聞いてみると、けっこう授業で習ったことを覚えていることもあるものです。
鴻上さんは、日本では学術用語のような英語を覚えることはやってきたが、日常的に使える英語ではなかった、コミュニケーションがとれるような英語ではなかった、と言われています。
勉強というのは、生きて働いてなんぼ、使えてなんぼ、ではないでしょうか。
テストで点が取れても、たとえばそれが受験でだけ使えるようなものだったら、意味がない。
ほんとうに必要な教育を、学校は保障していかなければなりません。
そういうことを、僕は思いました。
▼最短時間で英語を使えるようになる!『お金と英語の非常識な関係』
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