「わたしひとり、立派な人に見られたって、なんにもならない」 ~『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』その3
アイヌ関連のブログ記事を続けています。
今回も、以下の本の読書メモの続きです。
『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』
(PHP心のノンフィクション:小学校高学年・中学生向け)
(金治直美、PHP研究所、2016、税別1400円)
↓過去記事はこちら
▼アイヌへの差別 ~『知里幸恵物語』その1
▼「外からの目」で見えてくるもの ~『知里幸恵物語』その2
本書の読書メモの最終回として、僕がどうしても引用したいと思ったところを紹介します。
『アイヌ神謡集』の出版直前、ある雑誌から執筆依頼がきたときのことです。
雑誌社の方から、「アイヌと知られると世間の人に見下げられるのではないか」と心配されたと聞いた時の、幸恵さんのことばを引用します。
今回も、以下の本の読書メモの続きです。
『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』
(PHP心のノンフィクション:小学校高学年・中学生向け)
(金治直美、PHP研究所、2016、税別1400円)
↓過去記事はこちら
▼アイヌへの差別 ~『知里幸恵物語』その1
▼「外からの目」で見えてくるもの ~『知里幸恵物語』その2
本書の読書メモの最終回として、僕がどうしても引用したいと思ったところを紹介します。
『アイヌ神謡集』の出版直前、ある雑誌から執筆依頼がきたときのことです。
雑誌社の方から、「アイヌと知られると世間の人に見下げられるのではないか」と心配されたと聞いた時の、幸恵さんのことばを引用します。
・だまっていればアイヌとわからない、ですって?
では、わたしにシサム(和人)のふりをしろ、と?
そんなことをしたって、わたしはアイヌよ。
口先でシサムといって、なんになるの?
アイヌだから世の中から見下げられるなら、それでもいいわ!
自分のウタリ(同胞)が見下げられているというのに、
わたしひとり、立派な人に見られたって、なんにもならないもの。
それよりも、たくさんのウタリとともに見下げられたほうがいい。
それはちっともおそれることではないわ。
(『知里幸恵物語』p134-135より)
アイヌとしての誇り、プライド、仲間意識・・・いろいろなものが、真摯に伝わってきます。
ひるがえって自分自身のことを考えたときに、
自分はこれだけの思いを持って生きていっているだろうか?
ということを思います。
「何のために生きるか」
そういったことを、あらためて思いました。
3回にわたって書いてきた本書の読書メモはこれで終わります。
次回からは、次の本の読書メモを書く予定です。
現代日本の北海道における、巡回の記録です。
『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた 失われたカムイ伝説とアイヌの歴史』
[ カベルナリア吉田 ]
▼この冬読んだ、アイヌに関する本4冊
(2024/01/29の日記)
▼過去に学べ ~万博が抱える黒歴史「人間動物園」(東京新聞)
(2024/01/28の日記)
▼「文字」という文化で失ったものがある(『ハルコロ』その1)
▼「文字」という文化で失ったものがある2(『ハルコロ』その2)