算数の「テスト」で書けない子への支援
昨日は、漢字が書けない子の、漢字テストでの支援について書きました。
▼ 「漢字50問テスト」で書けない子への支援
今日も、同じような話題で、続けます。
「テスト」というのは、学校ではかなり重要視されています。
ただ、それがあまりにも絶対的なものとして君臨しているのは、学校の本質的な存在意義を考えると、おかしなことではないか、と思っています。
僕は、「学校」の本質的な存在意義は、子どもたちが集団で学び合うところにあると思っています。
「テスト」が子どもたちのあいだに分断を生んでいないでしょうか。
「テストができない子は別の場所で」と言われて、分離教育につながっているようなことは、ないでしょうか。
日本が真にインクルーシブ教育を進めようとするなら、テストの問題は、避けては通れません。
「テスト」が、ある子どもを苦しめるものになっていないでしょうか。
「テストとはそういうものだから」と教師の側が思考停止になっていて、子どもを追い詰めていることもあるように、思います。
僕は、「テスト」についても、「子どもファースト」で考えたいです。
テストについては特に、昔ながらのかなり強固な慣例があるので、ここを変革すると一気に変わる気もしています。
現場の子どもたちの実態にそくして、改めてしっかりと考えていきたい、と思っています。
今日は、算数のテストに同室支援で入りました。
わり算の筆算で困っている子に、ちっちゃい九九表を渡して、それを見てやってもいい、という支援をしました。
(写真提供:写真AC。僕の学校の実際のテストではありません。)
九九を覚えていない子は、わり算の筆算なんて、できなくて当然なわけですが、そうすると、テストの時間がその子にとって、ただ苦痛なだけの時間になってしまいます。
算数の場合、「九九表を見ながらやってもよい」というのは、僕は、支援としてはアリだと思っています。
九九表があるからと言って、それで点数がとれるわけではないのですが、少なくとも「これがあればできるかもしれないから、やってみよう」と思えるきっかけには、なっているようです。
「テスト」の支援、いろいろな方々と議論しながら、ホンネのところを交流したいテーマです。
昨日と今日の、僕の書き込みは、人によっては、「テストなんだから自力でさせなくてはいけない。なんでそんなことをやっているのか。考えられない」と思って読まれた方も、いるのでは、と思います。
いろんな方と、いろんな意見を、交流したいと思います。
僕も、自分がやっていることが正しいと思ってこうやって書いているわけではなく、目の前の子どもたちにどんなことができるだろうと、迷いながら、いろいろ試している最中です。
ぜひ、コメント欄等で、お考えをお聞かせください。
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(2020/07/19の日記)