【報告】9.15東大主催オンライン学習会「木村英子国会議員にうかがう『なぜインクルーシブ教育でないとだめなのか』

今日も見に来て下さって、ありがとうございます。ぽっ
昨日​は「つぶやき」レベルの簡単な投稿で済ませてしまいました。
情報元へのリンクすらしていませんでした。
昨日書いていたオンラインの学習会は、これです。
 ↓
▼​木村英子国会議員にうかがう「なぜインクルーシブ教育でないとだめなのか」
 「分ける」という差別と闘い続けてきた中で-東京大学・インクルーシブ教育定例研究会(オンライン)


(画像はリンク先より。)
この日、僕はとっても眠かったのです。しょんぼり
朝3時に目が覚めてしまい、よく寝られなかったのでした。
学習会は20時から始まったのですが、20時40分には、「もう布団に入って、寝たい」という状態になってしまい、目がとろんとしてきました。
でも、オンラインでの木村さんの話が、どうしても「起きて聞いておきたい」という内容だったのです。
なので、休憩中に、秘蔵のコーヒー飲料を飲んで、目を覚ましました。
僕は夜にコーヒーを飲むと寝られなくなるので、普段は夜は飲まないようにしています。
でも、昨日は特別でした。
学習会は、22時22分くらいまで続きました。
とても目が離せない、耳が離せない学習会でした。
#時間はうろおぼえです。
#印象的な数字でそろえてみました。
#東大インクル研のオンラインは毎回興味深い内容で話が尽きず、終了予定時刻を大幅に超過して続くのが、もはや恒例になっています。

最後まで視聴できて、とてもよかったです。スマイル
ただ、チャットにも興味深い投稿が参加者の皆さんから多数されていたのですが、それが追い切れず、すべて読み尽くす前に終わってしまったのが残念でした。
読めなかったチャット投稿が気になって、寝られませんでした。
#コーヒーのせいかもしれません。
とにかくぜひシェアしたい内容だったので、今日は昨日の話について詳しく書こうと思います。
木村さんは
「幼い時から養護学校で育ち、健常者と分けられてきた。
 だから、社会に出てからも生きにくい。」
ということを、ご自身の体験から語られました。
木村さんは生まれてすぐに施設に入れられ、10歳までは施設で過ごされたそうです。
「日課が決められ、管理された生活。
 親から離されて、リハビリと手術の毎日。
 看護師の気分によってその日の明暗が分かれてしまう。
 人の顔色を見て、自分の気持ちを外に出せない子ども時代。
 外の世界は窓越しに見るしかなかった。」
と、木村さんは当時のことを振り返って言われていました。
想像するだけで、気持ちが暗くなります。
そのような子ども時代を、今の子どもに味合わせたくないという木村さんの気持ちが、痛いほど伝わってきました。
木村さんの養護学校の高等部の時の活動が、衝撃的でした。
養護学校の中で、「なぜ養護学校にいなければいけないのか」と教員に訴えられたそうです。
また、健常者とのほんのちょっとの交流を拒否、最初から分けずに共に過ごすことを文書で訴えられました。
その文書を実際に見せていただき、「地域に出たいという思い」から上演した当時の映像も見せていただきました。
大変胸を打つ内容でした。
僕は、高校生の時からこういった活動をされてきている木村さんを、尊敬するようになりました。
後半の質疑応答も、東大の小国先生がかなりつっこんだことを含めてきかれていて、大変興味深いものでした。
木村さんが「いちばんやっかいなのは、一緒にいないことによる心のバリア。これを崩していくのがやっかい。一緒にいないとわからない。」と言われていたのが、印象的でした。
具体的に日本の教室がフルインクルーシブ教育に向かっていくための提案も、このなかでずいぶんされていたように思います。
小国先生が「欧米では社会の差別がもとにあってのインクルーシブ教育。
  日本では差別のサの字もない。」
と言われて、木村さんが「​まず差別を認識しないと。​」と言われていたのが、
やはり「原点」かな、と思いました。
なんのために、インクルーシブ教育をするのか。
「差別」というものが現実にあるということを直視しないと。
そこを共有しないと、という思いを強くしました。
「高校まで分離されて、その後社会に出たら、こわいんですよ。
 とにかく人の目線がこわい。話しかけるのがこわい。
 初めてファミレスに行った時、注文が言えない。店員さんの目が見れない。
 看護師や医者が健常者の象徴だったので・・・。
 社会に出て初めて、わたしが分けられてきたことを実感しました。」
こう言われた、木村さんの言葉は、重いです。
それを言わせてしまう社会って、なんなんだ、と思います。
僕自身、めっちゃ、「自由に生きたい」派なんです。大笑い
だから、自由を制限されて、閉鎖的な環境に閉じ込められて、広い世界に出て行けない、といったこういった話を聞くと、「もし自分だったら、とても耐えられない」と思います。しょんぼり
これを、他人事にせず、自分事にすることが、今の社会や教育で、求められていると思います。
「自分は関係ない」と思っている人たちが、もしかしたら今の世の中には多いのかもしれません。
でも、ほんとうは、関係なくはないのです。
障害者に限ったことではありません。
高齢者など、社会の波に乗っていけない人や、社会の一員として活躍できないと思われている方達は、別のところに、と思われている
という話が、木村さんからもありました。
「みんなと同じことができない」という理由だけで、はじかれてしまう社会は、誰にとっても、不安と恐怖を潜在的に持ったまま過ごさなければならない社会だ、と僕は思います。号泣
木村さんからは、
「『特別支援教育』を選んでいるということ自体が、差別を被っていることの証」
という話もありました。
別の教育を選ばされている。
選ばざるを得なくされている。
そして、接点がないまま、別々に過ごしている。
そのことの弊害は、計り知れません。
今は、接点がたまにあればいいだろうと思われています。
でも、木村さんは、たまにある「交流教育」に、非常に強い嫌悪感を抱かれていました。
自分が見世物みたい」と感じられていました。
​常に共にいる=フルインクルーシブ教育の必要性​を、大きく感じました。
今回の会の最後に、小国先生はこう言われていました。
「僕自身は、差別を差別としてことあげすることが大事だと学んだ。
 その機会すら奪われている、より深刻なところを木村さんは見ている。」
今回の学習会の意義を端的に言われていたように思います。
本当に貴重な学習会を、今回も企画していただき、ありがとうございました。ぽっ
僕は、これまで、基本的に、特定の政党や政治家に関することは、ブログに書かないように心がけてきました。
ただ、昨日お話をおうかがいした木村英子さんのことは、なんとしても、書いておきたいと思いました。
僕は今回の東大主催の学習会を視聴するまでほとんど知らなかったのですが、木村さんは、障害当事者として長く活動をしてこられた方でした。
その活動を知り、非常に尊敬できる方だと思いました。
僕がめざしている​​「インクルーシブ教育」「インクルーシブ社会」​​のことについて、本当にそれを大切に思い、実現をはかろうとするなら、この方の話について書かないわけにはいかないと思いました。
「重度障害者」と言われる立場の方が国会議員になられたのは、この日本の今において、とんでもなく、画期的なことだったと思っています。
「健常者」と言われる人たち中心の日本の世の中が、ここから、少しずつ変わっていけるのではないか、という希望を持っています。
ほんとうは、上でわざわざ「」をつけて書いたような言い方をしなくてもいい社会が望ましいです。
いろんな人がいて当たり前の社会になっていてほしい、と思います。
そのために僕も、できることを少しずつ、やっていきたいと思います。ウィンク
木村英子の夢
(画像の出典:​参議院議員木村英子オフィシャルサイト​​内「政策」のページ​より)

上の動画に関するサイト
▼​2020.5.28国土交通委員会質疑『しょうがいしゃの現状を国会に!心のバリアフリーについて、当事者の立場から三井絹子さんに参考人としてお話しいただきました。』
 (参議院議員木村英子オフィシャルサイト​​内)
↓こちらの記事も、ぜひお読み下さい。ウィンク
▼​「対談 日本のインクルーシブ教育を問う」
 (インクルーシブ教育研究者の一木玲子さんとの対談です。)
いよいよ!明日のブログでは、僕が今週学校の中で実際にやったことを、詳しく書こうと思います。
(​3日前のブログ​に少しだけ書きました。)
明日の記事は、過去最高に入魂して書こうと思っているので、ぜひ明日もまた見に来て下さい。大笑い
読んでいただいたことに感謝します。
共に、がんばりましょう。ぽっ

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