授業で学習ゲームをみんなでするということ(横山験也「算数・英語、学習ゲームを超える学習ソフトの授業入門」をもとに、考える)
前回、おっくう先生の、Web上でできる具体的な学習ゲームを紹介しました。
今回は、そもそもに立ち返って、「授業で学習ゲームをみんなでするということ」について、考えてみたいと思います。
学校の勉強など、一般に「ゲーム」ではないと思われるものを「ゲーム化」することについて、「ゲーミフィケーション」という言葉が使われることがあります。
ちなみに僕は「なんでもゲーム化すればいいのだ」という、かなりのゲーミフィケーション推進論者です。
「ゲームを悪者にするな」といった趣旨の主張を教師向けのメールマガジンに投稿して、採用されたこともあります。(「MM小学」というメールマガジンです。もうずいぶん前のことです・・・。)
小学校教諭になる前はゲーム会社にいたこともあり、「ゲームと教育が対立するのではなく、教育はゲームを取り入れるべきだ」と、ずっと思っています。
同じようなことを思っておられる方は、けっこうたくさんおられます。
いろいろな研究者や実践者の原稿を集めて構成された次のような本も出ています。
授業づくりネットワーク(No.26)
『ゲーミフィケーションでつくる!「主体的・対話的で深い学び」』
(藤川大祐 編著、学事出版、2017、税別1400円)
2ヶ月前に読み終わり、読み終わってすぐに感動して、その中の福山憲市先生の「インクルーシブな学級づくりを支えるゲーム手法」については、そのときのブログ記事で紹介させていただいていました。
今回は、学習ゲーム開発の第一人者であり、おそらく最も有名なお一人である横山験也先生が書かれた文章から、少し引用させていただきたいと思います。
横山先生は、上の本の中で「算数・英語、学習ゲームを超える学習ソフトの授業入門」について書かれています。
「学習ゲームを超える学習ソフト」というところにも、「学習ソフトの授業入門」というところにも、大変興味をそそられるタイトルです。
この中で、横山験也先生が実際に担任された学級で最初に「学習ゲーム」を取り入れるようになったいきさつや、取り入れてみて子どもたちがどう変わったかが、書かれています。
非常に端的に引用させていただくと、次のような変化が見られたそうです。
・「お客様」状態の子があちこちにいました。
↓
・遅れがちな子も一気に豹変。夢中になって取り組み始めた
(p46より)
「学習ゲーム」が、やる気の見られなかった子のやる気スイッチを入れたことが分かります。
「ゲーム」は、子どもたちの主体性を引き出すのです。
これこそ、まさに「ゲーム」のもつ素晴らしさです。
「教師が子どもたちに勉強をさせる」ということとは、対極にあります。
学びの主体性が、授業に学習ゲームを取り入れることで、回復していくのです。
その場では、教師は「教える人」ではなくなります。
ゲームをクリアすることを助ける人になるのです。
横山先生はそのことを、次のように喩えておられます。
・先生は直接あれこれ動きを指示することのないラグビーやサッカーの「監督」的な立ち位置となり、子ども達は教室というフィールドをはつらつと学習をする「プレーヤー」となります。
(p46-47より)
先生が「監督」役になって具体的にどんな授業を展開されていたのかは、同書をお読みください。
「授業をするのがうまい、教え上手の先生」にはなかなかなれませんが、ゲームを主役にして、教師が「監督」役をするのであれば、教え方の上手下手はあまり関係がありません。
実際、横山験也先生が開発された学習ソフトを使って、教職経験の少ない先生の教室でも、子どもたちがイキイキと学んでいる姿が、あちこちの教室で見られているようです。
日本中の学校の授業でこういった授業が展開されていけば、学びから逃走する子が減り、自分から進んで学ぼうとする子が増えると思います。
文科省が近年声高に呼びかけている「主体的・対話的で深い学び」を実現するためにも、「授業で学習ゲームをみんなでするということ」について、積極的に考えていくべきだと思います。
↓以前ブログで紹介した藤川大祐先生の本も、このテーマに直結する本だと思います。
よろしければこちらもお読みください。
▼藤川大祐『授業づくりエンタテインメント!』その1~「予告」「ライブ」「余韻」
(2021/12/11の日記)
▼藤川大祐『授業づくりエンタテインメント!』その2~ランダム性の授業における意義
(2021/12/12の日記)
▼藤川大祐『授業づくりエンタテインメント!』その3~人間関係を可視化してフィードバックする
(2021/12/14の日記)