「100%ではないゴール」 ~『全員参加の全力教室2』『学校の枠をはずした』
テストの最高点は何点ですか?
100点ですか?
ほんとに、それで、いいんですか?
実は、100点を上限にしないテストで、上限をとっぱらったことにより、200点や300点をとる子どもたちが次々に出てきた、という事例があります。
どういうことかと言うと、たとえば漢字テストです。
漢字50問テストで、1問につき、2点です。
そうすると、全部できていたとしたら、100点ですよね?
これの上限を崩すということは、ほかにも点が入る要素を追加するということです。
僕が知っている事例で言うと、問題に出てきた漢字を使う熟語を、問題の傍の余白に書きます。
その熟語の漢字使用例が正しければ、ボーナスでさらに1点入ります。
こんなふうにすれば、上限は100点ではなくなるわけです。
だいたい、上限が100点だったら、100点とれる子は、テストの残り時間を持て余してしまいます。
上限を崩すという工夫は、学校現場で、もっと試みられていいと思います。
上の事例は勤務市の先生がされていたものですが、教育書にもこういう事例はたまに出てきます。
僕の手元にある本で言うと、たとえば次の本の中にも、記述がありました。
『全員参加の全力教室2 燃える!伸びる!変わる!ユニット授業 燃える!伸びる!変わる!ユニット授業』 [ 杉渕鐵良&ユニット授業研究会 ]
上の本の中には、「無限漢字」として紹介されています。
「100点という枠をはみ出す無限漢字 駒田 友希 東京都杉並区立方南小学校」
(『全員参加の全力教室2』p15~20に実践記録報告を収録)
これはこれで素晴らしい実践だと思いますが、実は、今回僕が言いたいのは、そういうことではありません。
さらに、その上を行きます。(?)
100点を越える点がもらえる場合があるとして、あくまでもそれは、先生が決めたルールです。
『学校の枠をはずした』 という本では、あるアーティストの、次のような言葉が、載っています。
ゴールの見えない作業をひたすらやっているときに、ある子どもが、尋ねました。
「今どのくらい進んでいるのでしょうか?」
これに対する答えが、こうです。
「100%で言えば、80%。
でも、300%だったら、60%かな」
この章の最後で、質問した子どもは、最後には「誰かが決めた100%を目指すのとは別のゴールがあることに気づいた」と書かれています。
(『学校の枠をはずした』 p88)
『学校の枠をはずした 東京大学「異才発掘プロジェクト」の実験、 凸凹な子どもたちへの50のミッション』 [ 東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室 ]
学校のテストがあまりにも絶対視されると、子どもは、「100点」という枠に、慣れてしまいます。
人生に、100点は、ありません。
あなたは、あなたの人生で100点をめざしていますか?
「100%で言えば、80%。でも、300%だったら、60%かな」と言えたら、ステキですね。
本来、勉強というものは、どこまで行っても、果てがないものです。
ゴールは、自分で決めるものです。
テストで100点がとれない子にしても、そうです。
ゴールは、自分で決めたら、いいのです。