藤川大祐『授業づくりエンタテインメント!』その3~人間関係を可視化してフィードバックする

前回​・​前々回​と、藤川大祐先生の『授業づくりエンタテインメント!』を読み返していました。
今回は、巻末の対談を参照します。
本日が本書の読書メモの、最終回です。

『授業づくりエンタテインメント! -メディアの手法を活かした15の冒険-』
( 藤川大祐、学事出版、
2014、1800円、絶版)
例によって、僕が特に勉強になったところのみを、取り上げていきます。
巻末の対談は、藤川大祐先生と宇野常寛(うの・つねひろ)さんによるもの。
宇野常寛さんについては僕はよく知りません。ごめんなさい。
僕より少し年下の方のようです。(1978年生まれ)
教育畑の方ではないはずなのですが、この方の発言、なかなか示唆に富んだものが多いです。
教育改革の先頭を切っておられる先生と似た考えをお持ちだと思いました。


 藤川大祐『授業づくりエンタテインメント!』
読書メモ ロゴその3
(巻末の対談(p190~p201)より)
(宇野) ​​
リスク分散的に 人間は2つ以上の共同体に所属しておいたほうがいい。
 (p192より)
学級という制度があまりよくない
・空気を読むことがコミュニケーションスキルということになるわけですよね。
 でもそれって、究極的にはいじめが起こったときに、いじめられない側に回るためのスキルなんですよ。
 (p193より)
しょんぼり
 
宇野さんのこの指摘は、非常に強く思います。
 子どもたちって、コミュニティが学校の教室しかない子が、多いです。
 これが、大人の場合だと、趣味的な他の共同体にも所属することができやすい。
 僕の場合も、SNSやこのブログなど、他の共同体にゆるく所属している感覚があるので、仕事でしんどいときがあっても、メンタルの面でカバーできている気がします。
 学級がすべてになってしまったら、学級がしんどくなったときに、居場所がなくなります。
 もちろん、教師として学級の居心地をよくすることはめざしていくんだけれど、一方で、「学級」というものを問い直す時期に来ているのかな、と思います。
 昔、「学級崩壊というのは学級があるから崩壊するので、学級がなければ起こりえない」という話を聞いたときに、「学級がない教育なんてありえるのか」とびっくりした覚えがあります。ただ、今の時代にはかなり「学級」のない教育が増えてきたような気もしています。

​​
(藤川)
​​​・​ゴールとルールが決まっていて、道筋は自由。
ゲーミフィケーション型の教育というのがこれからは必要なんじゃないかな​

​​​(p200より)​
(宇野)
​​​​​​・これを使わない手はないというか、むしろこれを前提に考えていかないと、話にならない。

​​​(p201より)​

​​ぽっ
 「ゲーミフィケーション」については、本書の15の冒険のうち最後に書かれていた「冒険」の内容で、僕の前回のブログでもふれさせていただきました。
 未来の教育を考えていくうえで、重要なキーワードになると思います。
 宇野さんが「これを前提に」と言われているということは、「内容によって、ゲーミフィケーション型の教育にできそうなものは、取り入れる」ということではなく、すべての土台として尊重するというような意味かな、と思いました。
 なお、この対談での「ゲーミフィケーション」は、「学習をゲーム化する」というような狭いものではなく、人間関係を可視化してフィードバックするなど、「人間関係」そのものに焦点を当てています。
 教室の人間関係を改善していくうえで、ゲーミフィケーションを基盤にすると、ゴールとルールとフィードバックにより、改善を図りやすい。
 こんなふうに
「ゲーミフィケーション」を広くとらえて教室に適用する発想は、僕にはなかったです。
 非常に刺激を受けました。
 



次回以降は、また全然違う話題を書きたいと思っています。
それでは、また!大笑い

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