「仲間にならずにいられなくなるということ」~上田薫『人が人に教えるとは』
教育界の先人から学ぶところは非常に大きいです。
もうずいぶん前ですが、上田薫先生の著書を読んだときの読書メモを書いておきます。
『人が人に教えるとは 21世紀はあなたに変革を求める』 / 上田 薫 / 医学書院
(古本)
僕がいたく共感した部分だけを、特に抜粋して引用します。
上田薫『人が人に教えるとは』
・画一目標によって子どもを画一化することこそ最悪なのである。
個性を殺すことはその人間のいのちを奪うことにほかならない。
(p139より)
僕は、得意と不得意の差が大きい方です。
また、職業柄、得意と不得意の差が大きい子どもたちを応援しているところが、少なからず、あります。
自分の個性を認めてもらいたい、という思いが、人一倍強いですし、子どもたちの個性についても、同様です。
ですから、上田先生の言葉からは、自分の考え方の後押しをしてもらったような気がして、大変心強く感じました。
教育界で「個性尊重」が叫ばれて久しいですが、今こそ、本当にそれが必要な時代が来ていると思います。
AIができることをみんなができても、あまり意味がないのです。
その人らしさを発揮して生きていく時代です。
一人ひとりが、換えが効かない存在にならなければなりません。
というか、最初から、換えが効かない存在なのですが。
それを教育が規格的な工業製品にしてしまってはならないのです。
・教師が成長するとは、現秩序に忠実な優等生への、教室のまんなかを占領して教師の都合に合わせる子どもたちへの愛着を、はっきり絶つことができるようになるということである。
つまずきがちな隅っこの子を大事にできる、いや愛することができるということである。
・はずれの子どもたちに救いの手を伸ばすというのではなく、教師が彼らに身を寄せていくということなのである。仲間にならずにいられなくなるということなのである。
(p183-184より)
厳しいなかに、愛を感じる言葉です。
だれに向けて授業をするのか?
教師人生の最初の頃は、優等生に向けて授業をしていたような気がします。
しかし、最初の2つの勤務校で、しんどい子に合わせる、ということを教わりました。
「愛することができる」とか「仲間にならずにいられなくなる」というのは、その子どもにしたら、とてもうれしいことではないでしょうか。
教えてやるんだという傲慢な気持ちからは生まれない感情です。
教師は、教えなくてもいいのかもしれません。
ただ、愛すればいいのかも、しれません。
金言の多い本ですが、自分にとってもっとも響いたところだけ、引用させてもらいました。
皆さんにとっても、影響力のある言葉だったのでは、と思います。
僕はよく知らなかったのですが、戦後の教育を牽引した先生のお一人だそうです。
そういった先生方の言葉は、生き方がにじみ出ているような迫力がこもっていることが多いです。
現代の流行りの教育書だけではなく、たまにはこういった先人の教育書も読んでおきたいものです。
▼『学力‐子どもからはじまる教育』~教育の原点から教育の方向性を問い直す
(2009/01/15の日記)
▼東井義雄先生
(2018/08/09の日記)