「人権意識の”変わり目”となったエピソード」 ~拝野佳生『関係支援を核とした学級づくり』その2
昨日から、以下の本の読書メモを書いています。
『関係支援を核とした学級づくり 「特別でない」特別支援教育をめざして』
(拝野佳生(はいのよしき)、解放出版社、2023/11、税別2000円)
前書きについてふれた、前回のブログ記事は、こちら。
本書には僕の心に突き刺さったエピソードや著者の考えがたくさんあるのですが、全部紹介しているときりがないので、絞りに絞って、書いていきます。
最初の方の記述で、僕がどうしてもふれておきたいのは、
第1章第1節第2項「在日コリアンとのかかわり」です。
ここでは、著者が小学校教員として採用後に初めて勤めた小学校での出来事が書かれています。
その学校は、当時、全校児童数の約1割が在日韓国人・在日朝鮮人の子どもたちだったそうです。
(p15)
このとき、著者は、ある人の発言で、「周りの子」にこそ目を向けるべきであると気づかされます。
ある研究会で、朝鮮初級学校の先生が、こんなことを言われたそうです。
・「ことばにこだわるようですが、
『在日朝鮮人問題』という言い方がありますよね。
私、これ、どうかと思うのです。
差別しているのは日本人ですよね。
問題は日本人なのに、なんで『在日朝鮮人問題』と言うのでしょう。
私たち朝鮮人が問題ですか?」
(p15より)
僕は、これを読んで、ガツンと、鉄槌をくらったような気がしました。
そして、これは、「在日朝鮮人問題」に限らず、ほかのことでも、同じことが言えると思いました。
「障害者」の問題にしても、そうです。
「不登校」の問題にしても、そうです。
「学力問題」ですら、そうです。
「あの人たち」「あの子たち」の問題にしてしまっていて、自分たちの問題としてみなしていない。
僕たちの姿勢が、問われている気がしました。
「問題だ」と問題視している、僕たちのほうが、「問題」かもしれないのです。
まさに、「問題はつくられる」であります。
この後のページに、「在日朝鮮人問題」の当事者である、対象の子どもたちが、ホンネを吐露する場面の記述があります。
「自分たちだけ別室で事前に人権学習をしていた話」(p20)についてです。
・「私、あれ、あんまり好きじゃなかったわ。
なんで私らだけ特別なん? とか思っていた。」
(p20)
周りで思っていたことと、当事者が思っていたことが、違っていたのです。
本人たちの思いが、おいてけぼりをくらっていた、というのです。
別室で特別に学習すると言えば、今、「特別支援教育」のなかで、普通におこなわれていることです。
いえ、「特別支援教育」という範疇にとどまらず、「集団での学習や集団生活についていけない子を、特別に個別に見てあげるのが丁寧だ」という考え方が、幅をきかせています。
そういう指導が、その子たちの気持ちを確かめずに、おこなわれています。
ここでも、やはり、「これは、この子たちだけの問題ではない」と思いました。
本書が重要なのは、こういった当事者目線に立った、人権問題としての視点に、気づかせてくれるところにあります。
僕たちは、ともすれば、親切心で対象の子どもたちだけを、別室で少人数で学習させるなどして、本人たちの気持ちも確かめずに、手前勝手な指導をしているのかもしれません。
本書のサブタイトルに、「『特別でない』特別支援教育」という言葉があります。
一見、矛盾したように見えるこの言葉に、「学校を特別なものにしない」という、著者の決意が隠されているように思えてなりません。
当事者主体の「『特別でない』特別支援教育」を考え、それを実現しようと実践を重ねていくことは、すなわち「ともに」考えることであり、「ともに」実践をつくっていくことであります。
今回ご紹介した第1章第1節のタイトルは、
「人権意識の”変わり目”となったエピソード」です。
僕は、まさにこの、本書での著者の立ち位置、スタート地点をこそ共有したいと思います。
多くの皆様が本書を手に取って、この第1節だけでも、読んでいただけることを、切に願います。
明日以降のブログでは、
「第2章 『関係支援』の具体的展開」
の内容に、入りたいと思います。
よろしければ、明日もまた、見に来てくださいね。
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