「国とは何だろうか。」 ~カベルナリア吉田『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた』その2
アイヌ関連のブログ記事を続けています。
昨日から、以下の本の読書メモを書いていきます。
『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた 失われたカムイ伝説とアイヌの歴史』
(カベルナリア吉田、ユサブル、2022、税別1800円)
今回は、本書後半の記述を拾いたいと思います。
本書ではかなり後のほうになりますが、「日高」の章で、著者は静内のシャクシャインの像を訪れます。
シャクシャインは、和人の侵略に対してアイヌの英雄ですが、和人から和睦すると見せかけられた酒宴の席で討ち取られました。
だまし討ちです。
そのシャクシャインの像の台座に、「共生」の2文字があることに、著者は違和感を覚えます。
・「共生」の2文字に違和感を覚える。
「過去にいろいろあったけど、水に流して仲良くやりましょう」とでも言いたげで、その「いろいろ」をほじくり返されたくない感じだ。
過去のいろいろ――差別とか、もともとアイヌが住んでいた場所を「日本の領土だ」と主張することとか。
(p196より)
実は上でふれられているシャクシャインの像は、建て替えられて新しくなった2代目。
著者は1代目の像が放置されているのを見つけて、以前の像との比較もおこなっています。
そのなかで、新しくすることで、歴史の負の部分に目をつぶってご都合主義に陥っていることを嘆きます。
歴史は、こうやって、作り変えられていきます。
新しいものしか見なければ、気づかずにいることも、ありそうです。
著者は、単に北海道中をまわるだけでなく、消え去ろうとしている歴史の痕跡も見つけているのです。
正しく歴史を知るために、著者のスタンスからは、学ぶべきものがあると思います。
その後、著者が二風谷(にぶたに)を訪れて書かれたページにおいては、次のようなエピソードも紹介されています。
・――アイヌにとって「聖地」である、この場所でのダム建設をめぐり、強い反対運動があったと聞く。
菅野さん(※二風谷生まれのアイヌ文化研究者で、アイヌ初の国会議員)も建設に強く反対し、国が強制収用に踏み切り、訴訟沙汰にもなった。
裁判は収用を違法と判断したが、しかし工事は進み、ダムは建設された。
一方で裁判を通じ、国が初めてアイヌを先住民族と認めた。
(p196より)
菅野さんは、僕が少し前に読書メモを書いたマンガ『ハルコロ』の監修者でもあります。
裁判で違法と出たのにダム建設が進んだことに、驚きを禁じえません。
このあたりの経緯はかなり複雑であるとも書かれているので、僕の知らないいろいろなことがまだまだあったのだと思います。
ただ、アイヌの聖地が守られなかったことは、とても悲しいです。
さて、本書はアイヌのことにたびたびふれている紀行文ではあるものの、アイヌのことだけを書いているものではありません。
#グルメとかグルメとかグルメとかの話も出てきます。
アイヌ以外の話題で、「このことも、つながっているなあ」と思ったのが、「囚人」の話です。
「囚人」と聞くと、反射的に、悪いことをして捕まった人という印象がありますが、本書によれば北海道の監獄に収容されていた「囚人」は、簡単に言うと、時の権力者に逆らって捕らえられた人が、多数存在したようです。
以下は、「第8章 網走」の、「囚人道路」の項からの引用です。
・網走といえば監獄だ。
そして北海道の開拓には「囚人労働」が欠かせなかった。
・「囚人」といっても、絶対的な悪人ではない。
時代の流れに翻弄され、結果的にその後の権力者に逆らってしまい、タイミング悪く「悪い人」になってしまった人たちが多かった。
彼らは欠員が出ても――死んでも――補充がきく格好の労働要因として、過酷な極寒の大地の開拓作業に放り込まれた。
(p216より)
これについては検証が必要な気もしていますが、少なくとも本書の著者は、そう捉えています。
「網走監獄」のサイトなど、ちょっと調べた範囲で言うと同じような記述は公的なサイトからも見つかることから、これは、あながち間違いではないと思います。
少し長くなりますが、本書の「網走監獄」の項からも、関連するところをさらに引用します。
・ロシアの南下政策に対抗し、北の防備を固めるため、大勢の囚人が北海道に送り込まれた。
そして極寒の大地を開拓するという「懲罰」を課せられた。
・権力闘争の覇者たちは優雅な時間を過ごした。
一方の敗者は極寒の地に送られ「死んでも代わりがいるから構わない」人権無視の扱い。
・勝者の論理で社会が作られ、庶民はただ従うだけ、逆らえば「囚人」となる。
だが権力を得た勝者たちは、決して「正義」ではない。
・石狩の大地を拓いた囚徒2000人。
開拓の遅れをとった十勝地方も、囚人投入で急速に発展。
(p220より)
以前、『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』の読書メモを書いたときに、青い芝の会の行動綱領で「愛と正義」が否定されていたことを思い出しました。
▼「愛」という言葉も、とらえ方次第? ~荒井裕樹『どうして、もっと怒らないの?』その5
「正義」という言葉がふりかざす権力性について、もう一度考えることになりました。
せめて思いだけでも、一方的に使役されていた人々に寄り添いたいと思います。
引用した「網走監獄」の項は、次のような言葉で締められています。
・国とは何だろうか。
そうして守られた国で、僕も今、のうのうと暮らしている。
僕の日々の生活もまた、囚人たちの屍の上に成り立っている。
彼らの死体を踏みながら、生活している。
僕を含めた全ての日本人が。
(p220-221より)
正面切ってこんなことを言ってくる本書は、非常に考えさせられる本でした。
本書を読むことで、僕は、いろいろな宿題をいただいた気がします。
これから、とことん、考え続けていきたいと思います。
▼この冬読んだ、アイヌに関する本4冊
(2024/01/29の日記)
▼過去に学べ ~万博が抱える黒歴史「人間動物園」(東京新聞)
(2024/01/28の日記)
▼「文字」という文化で失ったものがある(『ハルコロ』その1)
▼「文字」という文化で失ったものがある2(『ハルコロ』その2)
▼アイヌへの差別 ~『知里幸恵物語』その1
▼「外からの目」で見えてくるもの ~『知里幸恵物語』その2
▼「わたしひとり、立派な人に見られたって、なんにもならない」 ~『知里幸恵物語』その3