カベルナリア吉田『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた』その1
アイヌ関連のブログ記事を続けています。
今日からは、以下の本の読書メモを書いていきます。
『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた 失われたカムイ伝説とアイヌの歴史』
(カベルナリア吉田、ユサブル、2022、税別1800円)
著者が北海道中をまわる旅行記です。
著者は北海道生まれの紀行ライター。
ブログを本にしたような軽い感じの文章ですが、近代の資本主義社会全般に対しては批判的なところがあります。
ちょうど今、「ゴールデンカムイ」の映画が公開中なので、上の本は比較的新しい本ということもあり、書店では関連本のように近くに置いてあることがありますね。
ただ、こちらの著者は「ゴールデンカムイ」には批判的です。
「ゴールデンカムイ」ファンが間違って買ってしまうと、期待外れかもしれません。
(参考)
▼映画「ゴールデンカムイ」公式サイト
「ゴールデンカムイ」だけではなく、近年の大々的なアイヌの打ち出し方、観光に利用するようなところすべてに対して、著者は批判的です。
アイヌに関する博物館がリニューアルされると、「前の素朴な感じの方が良かった」と捉える方です。
「こういう考え方もあるのだ」「こう捉える人もいるのだ」というひとつの参考にはなるのではないかと思います。
ただ、本書で指摘されている「和人目線で見たアイヌの表現」は、現在では以前に比べて修正されているところも少なからずあるようです。
たとえば、本書冒頭で著者は次のように書いています。
・少し前、新千歳空港に掲げられた日本ハムファイターズの広告に「北海道は開拓者の大地」というフレーズがあり、アイヌへの配慮が足りないという問題になった。
和人に言わせりゃ「開拓」でも、アイヌの立場からすれば「侵略」や「植民地化」かもしれない。
(p16より)
新千歳空港は北海道最大の空港で、北海道の空の玄関口です。
あまりに巨大すぎて、びっくりする一大施設です。
#なんと空港に温泉まであります。
上の例で示されているように、今の北海道では、「開拓」という言葉はアイヌへの配慮から、使われなくなっていたり、使う場合でも但し書きのようなものを付けることが多くなったようです。
和人とアイヌ、両方の立場から、今の北海道における「アイヌ」の扱われ方を検討するには、著者の持っている目線でもう一度北海道を見て回るのも、大切なことかもしれません。
では、空港以外で著者がどんなことを書いているのかも、少し紹介します。
たとえば、函館の北方民族資料館を訪れた際には、以下のことが書かれています。
・北海道から樺太経由で中国大陸まで通じる交易の道――北のシルクロード。
アイヌは交易を通じ「世界」とつながっていた。北海道に閉じこもり、黙々と狩猟採集を行っていたイメージをもたれがちだが、そんなことはないのだ。
これは、琉球時代の沖縄と似ている。
シルクロードを経由する交易を通じ、沖縄もまた世界とつながっていた。
(p45より)
上の引用箇所に顕著に見られるように、著者は「アイヌ」を表面的なステレオタイプで見ることに嫌悪感を抱き、博物館等での「アイヌ」の扱われ方を警戒しているところがあります。
長く続いたアイヌの文化に対するリスペクトがあるようです。
著者自身、この本の前に沖縄をめぐった本を多数出していることもあり、沖縄との共通点を書かれているところは、興味深いところです。
同資料館で「北の神々」のコーナーを見た著者が思ったことを書いているところからも、他の本ではあまりふれられていないことが書いてあるので、引用します。
・「今日から、この場所は日本になった」と突然告げられ、神社が立ち、鳥居が立ち、社殿に手を合わせて拝めと言われた。
神社が祀る神こそが神で、国を作った日本武尊こそが神であるからと、拝みを強要された。
アイヌは住処を追われ「日本人」になることを強要された。
外見や言葉遣いなど目に見える部分だけでなく、心の内側にまで、ズカズカと入り込まれた。
(p46より)
それこそ、「ゴールデンカムイ」に出てくるアイヌにとっての神=「カムイ」に関するところです。
もちろん現代の日本では、信教の自由が憲法で保障されており、明治・大正時代の上のようなことが、今も公然と行われているわけではありません。
ただ、過去の時点でそういうことがあったなら、今さら信教の自由を保障されたところで、もう前のようには戻れないことは、想像に難くありません。
「心の内側にまでズカズカと・・・」といった表現を読んで、僕は、日本で過去に行われたキリスト教信者狩りのことを、思い出しました。
「踏み絵」を強要するなどの、あれです。
遠藤周作の『沈黙』を読んだ時の衝撃は、忘れられません。
『沈黙』 (新潮文庫 えー1-15 新潮文庫) [ 遠藤 周作 ]
「日本」とはなんなのか、「自由」とはなんなのか、いろいろと、考えさせられます。
そういうことを考えておかないと、この日本では、
「心の内側にまでズカズカと・・・」
ということが、起こりやすいのかもしれません。
次回は、本書後半の記述を拾いたいと思います。
明日に続きます・・・。
▼この冬読んだ、アイヌに関する本4冊
(2024/01/29の日記)
▼過去に学べ ~万博が抱える黒歴史「人間動物園」(東京新聞)
(2024/01/28の日記)
▼「文字」という文化で失ったものがある(『ハルコロ』その1)
▼「文字」という文化で失ったものがある2(『ハルコロ』その2)
▼アイヌへの差別 ~『知里幸恵物語』その1
▼「外からの目」で見えてくるもの ~『知里幸恵物語』その2
▼「わたしひとり、立派な人に見られたって、なんにもならない」 ~『知里幸恵物語』その3