アイヌへの差別 ~『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』その1
今週はアイヌの話題を連続してブログで書き続けています。
今日からは、以下の本の読書メモを書いていきます。
『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』
(PHP心のノンフィクション:小学校高学年・中学生向け)
(金治直美、PHP研究所、2016、税別1400円)
インクルーシブ教育の反対を意味する言葉として、「分離教育」という言葉があります。
「あなたは、こっちの学校ね!」と、大多数が通う通常の学校とは別に学校を用意して、そこに子どもを通わせる教育のことを言います。
昨年の国連の勧告では、日本の「特別支援教育」が、場を分ける分離教育であると批判されました。
勧告で強く要請されていたように、「分離教育」は差別であり、国際的にこれを禁止する流れになっています。
この分離教育が、アイヌの場合にもおこなわれていたことが、本書に書いてあります。
本書の主人公である知里幸恵(ちりゆきえ)さんが通われたのが、ほかならぬアイヌの子どもたちだけが通う小学校であり、和人(当時の日本人)から、「土人学校」と呼ばれていました。
(p34)
教育だけでなく、当時のアイヌが受けていた差別は、あまりにもひどいものがありました。
本書によれば、もともとアイヌは平和で平等な社会を築いていた民族でしたが、身分制度のある和人の社会にどんどん組み込まれていき、和人から差別される存在として生きていかざるをえなくなったようです。
その詳細が、子どもにも読みやすい文体で、本書には書かれています。
ほんとうは本書をまるごと読んでいただいた方がいいのですが、ここでは僕が特に驚いたところを引用します。
・アイヌの人びとには、土地の売買という習慣がありません。
また文字がないため、契約書などを読むこともできません。
そこにつけこんで、さまざまな規則や条例をつくり、一方的におしつけて、生活の場や、狩りや食物を得るための土地を、次つぎに取り上げてしまいました。
サケ漁やシカ猟も自由にできなくなり、家をつくるために山で木を切り出すことも、禁止されました。
さらに、日本語を使うことを強制し、名前すら日本名を名乗ることを強いたのです。
(本書p40より)
あまりにもひどい、としか言いようがありません。
土地を奪い、文化を奪い、言語まで奪って、改名を強いたのです。
アイヌとしてのアイデンティティを根こそぎ奪う行為です。
こういったことは外国での植民地政策としてなら、歴史の時間に習った覚えがあると思います。
しかし、日本の中で、こういったことがおこなわれていたとは、少なくとも僕は、歴史の時間に習いませんでした。
よその国のことでは、ないのです。
日本国内で、同じことが、おこなわれていたのです。
こういった負の歴史を繰り返さないようにしなければなりません。
あまり知られていないこういった歴史的事実を、ぜひ、多くの方に知ってもらいたいと思います。
本書の読書メモは、明日以降も、続けます。
▼この冬読んだ、アイヌに関する本4冊
(2024/01/29の日記)
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(2024/01/28の日記)
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