「​インクルーシブ教育​」がなぜ必要なのか~『「共に生きる教育」宣言』などから考える その2

前回​(▼今の「教育」の根本的な問題とは!? ~『「共に生きる教育」宣言』その1)の続きです。

​​​「​インクルーシブ教育​」がなぜ必要なのか
という、根本的な部分に関わる話です。

以下の本には、次のようなことが、冒頭に書かれています。

『「共に生きる教育」宣言』
(堀 正嗣、解放出版社、2022/7、税別1800円)


​・​分けられる子どもの悲しみとか、苦しみとか、恐怖といったものについて多くの人はあまりにも知らなすぎる。鈍感すぎる
(上掲書p14より)


本書の著述は、著者自身の体験を通して書かれていることだけに、説得力があります。
日本は国連から「分離教育であり、やめるべきである」と勧告されたように、「障害がある子のための学校」を別に用意してきました。
場合によっては兄弟姉妹で同じ学校に通えなかったり、障害を理由に居住地から遠く離れた学校に通わねばならないといった実態がありました。
これは、あきらかに差別であり、当事者の声に耳を傾けて是正していかなければならないことです。
地域の学校が地域の子どものためのものであるならば、どこまでも、地域の子どもたちにとってベストなものを、追求していかなければなりません。
どのような子どもであっても、受け入れ、いっしょにやっていく覚悟が、「学校」には必要です。
そして、そのうえで、前回僕が問題にした「能力」を「評価」するという、今の学校教育の大前提についても、考えていかなければなりません。
上掲書の続きのページには、以下のようなことが書かれています。


・なぜこのような「関係からの排除」が生じるのでしょうか。
​ 「能力」で子どもを価値づける教育がおこなわれていることが根本的な原因だと私は思います。
(p15より)


学校教育は「能力」の呪縛に縛られており、なかなか自由にはなり得ません。
ただ、「別の観点で子どもを見る教育」が昔からすでにあったことは、知っておかなければならないと思います。
僕が今読んでいる次の本などは、「能力」と「学校」についてかなり興味深い考察をしており、オススメです。

『学びの本質を解きほぐす』
(池田 賢市、新泉社、2021、2200円)

上の本はとにかくおもしろくて勉強になったので、また機会を改めて詳しく紹介しますね。
今回、このブログを書くにあたって、関連する情報を調べていたら、以下の論文に行き当たりました。
僕が以前からよくお名前をお聞きしている方が、どんな実践を学校でされてきたのかが書いてあり、驚きました。
▼​分離教育システムに抗する実践と社会モデル
 ――普通学級就学運動における「同一空間・同一教材」「共育」に注目して

 (藤原良太(立命館大学 生存学研究所客員研究員))
昔も今も、目の前の子どもたちのために、「能力」にこだわらずどんな子も受け入れて一緒にやっていこうとしてきた取組があるのですね。
大切なことは、ずっと変わらない。
新時代の教育を考えるにあたっては、そういった、変わらないものをきちんと受け継いだうえで、さらにその続きを考えていきたいと思います。ぽっ
また、次の資料も、「共生の教育」を考えるうえで、大変参考になりました。
▼​「共生共育」の思想
──1970 年代における子供問題研究会の歴史から──

 (名寄市立大学 堀智久)
以前のブログ​で大阪の「共生の教育」を報告した論文をご紹介しましたが、今回、東京での「共生の教育」が約50年前にどうであったかを示した別の論文も発見しました。
▼​1970年代初期の関東の障害児統合教育の始まり
 (久米祐子、九州大学学術情報リポジトリ「教育基礎学研究」第14号,2016)
前も書きましたが、ネット上でこういった貴重な情報が論文としてまとめられていることに、心から感謝を表したいと思います。​​​

「共に学ぶ教育」とは( 「普通学級での障害児教育」本の内容まとめ2)
 (2006/07/28の日記)

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