「学ぶのは子どもだし。『わからない』ことは重要」 ~工藤勇一×鴻上尚史『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』その3

​​​工藤 勇一さんと鴻上尚史さんによる本
​『学校ってなんだ!​』
の読書メモ、第3回です。

『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』
(工藤 勇一×鴻上尚史、講談社現代新書、2021、税別900円)

↓第1回・第2回は、​コチラ​。大笑い
「表現」。そして「身体化」 ~工藤 勇一×鴻上尚史『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』その1
「考え方の違いなんて、当たり前」 ~工藤 勇一×鴻上尚史『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』その2
昨日の読書メモを書いてから、寝るときに自分なりに昨日の内容について考えました。
僕は最後に「工藤勇一先生は、自分の考えをしっかり言葉で伝えることを大切にされていて、違う意見の人と言葉で話し合うことをすごく丁寧にされてこられた方」と書いたじゃないですか。
自分自身はそれができたかな、できるかな、ということを、ずっと考えていました。
工藤勇一先生は中学校の先生でしたから、職員同士で話し合うことだけでなく、非行生徒と話し合うことも、すごくされてきた方です。
工藤先生は、非行生徒と信頼関係を築いていった過程を、こんなふうに言われています。


・タバコ吸っているところに自分から足を運んで、タバコをやめさせてから、ずっと話したりする。
 雑談です。
 でも、そこからだんだんと信頼も生まれてくる。

(p187 工藤勇一先生の言葉より)


こういうところを読むと、されていること自体は、とても簡単なことのようにも、思えます。
やっぱり、何を大切に思っているかという、信念=考え方しだいなのでしょうか。
「大切なことは何なのか?」
を本書を読み返しながら、もう少し、考えていきたいと思います。


​​工藤:
 ほんとうの学びって、教えてもらうことじゃないですよね。
 ​学びとは、自ら学ぶことです。​その姿勢です。
 だから「わかる授業」を実施しようと言っていることじたい、日本の教育の最大の問題点なのだと思います。
鴻上:
 では、「わかる授業」に代わる言葉って何ですか?
工藤:
 「学ぶ授業」
工藤:
​ だって、学ぶのは子どもだし。
 「わからない」ことは重要なんですよ。


(p118より)


本書での学びの、まさに要諦だったかなあと思うのが、上のところです。
すごく、共感します。
一方で、やっぱり僕も、「わかる授業」をめざしちゃっているなあ、と思います。
「わからない」ことは重要なんですが、今の教室の中で「わからない」が続くと、自尊感情が下がる、ということが頻発しています。
大事なのは、「わかる」ことではない。
「わからない」ことの価値を、教室のみんなで感じることだ、と思います。
そのような考え方をとると、知的障害の子どもたちが通常学級の場の中で一緒に学ぶインクルーシブ教育を実現できる方向性も、見えてくると思います。
「わからない」に価値があるのですから、学習の理解がなかなか進まないということは、それだけ学んでいるということなのです。
先日オンラインで参加させていただいた障害のある子の高校や大学への進学について考える会でも、参加者の皆さんは子どもたちの「まだまだ学校で学びたい」という気持ちをとても大事に考えておられる方々ばかりでした。
(▼​​過去記事参照​​)
「高校は義務教育じゃないんだから、勉強ができない子は行かなくていいし、入試があるんだから、行けないんだよ」と考えるのか、「学校というのは学ぶところなんだから、なかなかわからないんだという子こそどんどん行くべきで、高校も、大学も、学びたい子はどんどん受け入れて、みんなで学んでいけばいいんだ」と考えるのか。
そういった考え方の違いで、学校という場所の意味付けは、180度変わってきます。
「学ぶ」ということをどう捉えるのか。
「学校」ということをどう捉えるのか。
そういうことを考えておくって、ほんとうに大事です。
ちなみに、今回引用したおふたりの議論の少し後に、​第1回読書メモ​で僕が引用した鴻上さんの「体ごと参加する」というお話が出てきます。
「学ぶ」にはいろいろな方法があるはずなので、当然、教科書と黒板とノートと鉛筆、という今までの日本の一般的な学び方以外のスタイルも、あるはず。
そういうことを考えていくことで、「学べる」子どもたちは、増えていくんじゃないかな、と思います。
さて、教育改革について考えるうえで、学級定数規模の話は避けて通れません。
それについてのおふたりのお話も、ご紹介します。


工藤:
 少人数にして、自律型の子どもたちを育てるというのではなく、少人数にして学力を上げることがセットになっていることが問題です。
鴻上:
 30人以下だったら失敗してもいいという雰囲気をつくりやすいんです。
(略)
 20人くらいの小規模になると、もっと楽で、ほんとうに失敗しやすくなる。
(p125より)


鴻上さんはその後の言葉の中で、演出家が自分のやりたいことを押し付ける目的で少人数でやるのだったら、意味がない、ということも言われています。
学力を上げる、というのが押し付けになっていたら、それは、自律型の子どもたちは育たないですよね。
子どもたち自身が学力を上げようと自分で思って学ぶんだったら、意味はあるんです。
でも、上から押しつけてやらせるんだったら、子どもたちにとって、生涯を学んでいく力になっていかない。学びは先生のためのものじゃなくて、自分のためのものですからね。当たり前ですけど。
演劇なんて、特に、自分の個性を発揮させてなんぼ、ですから、そういった個性を引き出せるかどうかは、指導者のかかわり方にかかっている、と思います。
「少人数のほうが失敗してもいい雰囲気をつくりやすい」というのは、僕は小規模校から大規模校までいろんな教室を見てきましたけど、やっぱりそれはすごくあると思います。
人数が多くなると、より管理する方向に行きやすくなる。
「みんな同じようにしてもらわないと困る」みたいなことが、大人数のほうが生じやすい。
だからこそ、日本の教室も、諸外国並みの少人数規模をかなえてほしい。
僕は、いろんな教室を見てきて、「16人がベスト」と、個人的に思っています。
ペアやグループを作りやすい数で、いろんな組み合わせで学び合うことがしやすいですから。
長くなりました。
続きはまた次回!
たぶん、次回が本書の読書メモ、最終回です。
よかったら、読みに来てくださいね。大笑い
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