「表現」。そして「身体化」 ~工藤 勇一×鴻上尚史『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』その1

昨日の日記​で「カヅラカタ歌劇団」のことを紹介しました。
東海中学・高校で男子中高生が本気で取り組んでいる「部活」です。
僕は、学習や運動以外で、子どもが思いっきり自己表現ができたり、自分の殻を破って成長できたりする事例を知れて、本当に良かったなあと思っています。
中高生なので、子どもというほど、子どもじゃないですけどね。
「学習や運動以外」と言いましたが、僕が注目しているのは、「音楽」と「演劇」です。
学校というところは、学習や運動ができる子は、注目されやすいし、自己肯定感も上がりやすい。認められやすいんですね。
でも、いろんな子がいていいし、いろんなことで認められ、自己肯定感を上げてもらいたいと思っています。
とりわけ、「演劇」は人間関係のリハーサルにもなるし、疑似体験そのものなので、人生に好影響を与える効果は大きいと思っています。
無口な子は無口な役をやればいいし、多動な子は多動な役をやればいい。
役や表現というのは無数にあるから、「こうじゃないといけない」というのが一律に存在しない。
みんな違って、みんないい。
また、そうやって多様性が見られないと、演劇として、面白くない。
違いを楽しみ合うには、演劇はほんとうにいいものだと思います。
「学校」について真っ正面から対談した本に、工藤 勇一さんと鴻上尚史さんによる『学校ってなんだ!』という本があります。

『学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか』
(工藤 勇一×鴻上尚史、
講談社現代新書、2021、税別900円)
その中で、演劇の専門家である劇作家・演出家の鴻上さんは、こんなことを言われています。


・「このシーンで一番たいせつなことは何か?」を俳優とともに話して、「何を表現すれば良いのか」を、俳優が自分で気づくかたちで導くことができるのが、一番良い演出家だと思っています。
(p110 鴻上尚史さんの言葉より)
・僕は、演劇的に言えば、身体化するとか、体ごと参加する方法によって、自分の頭で考える子どもを育てることができるんじゃないか、という期待を持っているんです。学びの身体化とでもいえばよいのかな。
(p121 鴻上尚史さんの言葉より)


鴻上さんがおっしゃることに、僕は大賛成で、これからの学校教育では、こういった要素をもっと増やしていけないかなあと思っています。
キーワードは、「表現」。そして「身体化」です。
それは何のために必要なのかというと、やはり、主体的な子どもたちの学びを引き出すためです。
学びは教科書の中にあるわけじゃない。
自分で気づき、「もっとこうしてみよう」と思うことにあります。
次回からは学校教育改革の旗頭とも言える工藤勇一さんのお話も引用させていただきながら、『学校ってなんだ!』の本を読み返します。(この本はここ1年間で僕が読んだ教育関係書の中でもかなり勉強になった一冊です。)
「学校」をどう捉え、どういう方向性に持っていくといいだろうということを、みなさんと一緒に、考えていきたいと思います。
よければ次回もお読みください。
それでは、また、次回!大笑い

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