国語教科書「たずねびと」の原爆について教える~井上ひさし『父と暮らせば』
井上ひさしさんの戯曲『父と暮らせば』。
新聞で紹介されていたのを機に、読んでみました。
『父と暮せば』 (新潮文庫)
(井上 ひさし、新潮社、2001、473円)
原爆投下後の広島がテーマ。
ちょうど、2学期の5年生の国語教科書で扱う物語教材も、原爆投下後の広島がテーマでした。
光村図書の「たずねびと」(朽木 祥 作)です。
この戯曲を読んでいたことで、子どもたちに原爆について関心を持ってもらう語りができたように思います。
具体的には、原爆とはどういうものかを伝えるときの描写が、強烈に記憶に残り、その記憶で子どもたちに話をすることができました。
『父と暮らせば』は戯曲ですので、お芝居の台本です。
セリフが中心です。
広島が舞台ですので、広島弁での語りです。
広島弁で原爆のことを語られると、当事者の思いがありありと感じられ、とんでもない迫力で迫ってきます。
「たずねびと」を教える前に、『父と暮らせば』。
読んでみられることをおすすめします。
以下は、僕が特に衝撃を受けた、原爆投下のその時を訴えた描写の一部です。
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・爆発から1秒あとの火の玉の温度は摂氏1万2千度じゃ。
やい、1万2千度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。
あの太陽の表面温度が6千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、2つ浮いとったわけじゃ。
頭のすぐ上に太陽が2つ、1秒から2秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上のものは人間(にんげ)も鳥も虫も魚も建物も石灯籠(どーろ)も、一瞬のうちに溶けてしもうた。
(p50より)
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「やい」「分かっとんのか」と言われると、
「すみません・・・」と頭を垂れざるを得ません。
子どもたちに語る前に、自分自身が、もっと勉強していかなければなりません。
今の子どもたちにとって、戦争や原爆は過去の話。
平気な顔をして、「そんな昔、生きてなかった」と言います。
生まれる前の話なので、無関心なのです。
それではいけない、という井上ひさしさんの思いが、『父と暮らせば』を通して、僕に憑依しました。
原爆投下は僕にとっても生まれる前の話ですが、だからといって風化させたくはありません。
生まれる前の話だからこそ、現実に何があったのかを学び、子どもたちに伝えていきたいと思います。
最後に、p104より、引用します。
「あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」
『父と暮らせば』はこまつ座で何度も上演されてきましたが、現在は他の劇団のものがYouTubeで観られたり、ドラマ版が有料配信で観られたりします。
時間のある時に観ておきたいと思います。
↓舞台版動画
さっぽろアートライブ MAM「父と暮せば」松橋/高橋バージョン
↓ドラマ版予告編
(参考リンク)
▼朽木祥作「たずねびと」の指導方法-平和学習中心の読解教材
(「小松の教育」様)