「習熟度別指導」は​差別の教育 ~佐藤学『学力を問い直す』

少し古いブックレットですが、推薦されていたので読んでみました。

『学力を問い直す 学びのカリキュラムへ 』(岩波ブックレット 548)
(佐藤 学、2001、岩波書店、税別480円)

前半は少し僕の考えとは違うな、というものもあったのですが、後半になるにつれ、古くて新しい主張に、ひきこまれました。
読んでよかったです。スマイル
少し前に読んだ本に書いてあった「学力とは幻想である」という主張が、22年前のこの本ですでにされていたことに驚きました。
佐藤学さんは、学力を「貨幣」に喩えられていました。


・学力が「貨幣」であることは、いずれも観念によって抽象化された想像の産物であり、経済社会の状況に応じて、実質以上の価値を持つこともあれば、実質を伴わないと貨幣が紙くず同然になるのと同様に、無価値になってしまう危険があることを意味しています。
(p30より)


本書では、「基礎学力の徹底」は、すでにアメリカで失敗に終わっている、ということも報告されています。
アメリカでそういった運動があったとは、知りませんでした。
1980年代初頭のことだそうです。
アメリカなので、英語で言いますと、「back to basics(基礎に帰れ)」という運動だったそうです。
運動の失敗の要因として、佐藤学さんは「基礎的な知識や技能であればあるほど、反復練習のドリルによる習得ではなく、経験を通して機能的に習得されることを認識していなかった」(p42)などの要因を挙げておられます。
また、本書第5章には、習熟度別指導や少人数指導について、書かれています。
その冒頭で、次のようなことがはっきりと書かれてあり、これにも、驚きました。


・1960年代から1970年代のイギリスの小学校における「能力別編成」の廃止の歴史が示すように、「習熟度別指導」は公立学校が立脚すべき民主主義に反する​差別の教育​
(p49より)


昨年、国連が日本の「特別支援教育」について、「能力で分けるのは差別の教育」と批判したのは記憶に新しいところですが、すでに50年以上前に、「能力で分ける」ことの是非に決着がついていたとは、知りませんでした。
国連の勧告では障害の「社会モデル」を1歩進めた「人権モデル」がもとになっています。
「人権モデル」は最新の考え方なのかと思っていましたが、知らなかったのは僕だけで、全然最新の考え方でもなんでもなかったみたいです。
日本ではまだまだ「能力で分ける教育」を志向する風潮がありますが、世界ではとっくに差別的な教育として廃止されていたということを知りました。
佐藤学さんの本書では「世界の学校ではすでに20年前に克服されています。」(p51)と書かれています。
本書は22年前のものですから、現在の時点から数えれば「世界の学校ではすでに42年前に克服されている」ということになります。
国連の勧告はこういった状況をふまえてのものなのですね。
日本だけを見ていると、「障害があって通常学級の勉強について来れないものは別の教室で学ぶ」とか、「能力に応じたクラスで学ぶ」といったことがいかにも正当化されて聞こえるのですが、当事者の人権を起点にして考えると、「能力差を包摂した場」ですべての人が尊重されることが大切なのだと思いました。
なお、「能力別編成」については、それが「学力」を高めるために無意味であるとまでは、本書では書かれていません。もしかすると効果としてはそれなりにあるのかもしれません。しかし、諸外国では「たとえ効果があったとしても、差別的なので、やらない」ということなのだと思います。
それがいかに差別的かは、具体的にイメージすると、分かってきます。
1組と2組があり、1組は学力が優秀な者で構成され、2組は学力に劣る者で構成されているとします。
そうすると、1組の人は、2組をばかにするようになりませんか?
2組の人は、劣等意識を植え付けられませんか?
本書でも書かれていますが、いわゆる昔ながらの「勉強」というものは、そんなに大事なものではありません。古い「勉強」観を脱して、未来の教育を論じる必要性が、今こそ高まっています。

(画像提供:写真AC)

「能力という名の信仰」 ~孫泰蔵『冒険の書 AI時代のアンラーニング』その5
 (2023/08/21の日記)

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