子どもっぽいことから逃げるな ~コージィ城倉『チェイサー』
僕が今までお会いしたことのある方で一番有名な方は、手塚治虫さんでしょう。
僕が小学生の頃のことです。
1985年ごろですね。
神戸のそごうの8階催事場でした。
その時限りのイベントでした。
手塚治虫さんが、子どもたちに絵を描いて見せて、子どもたちが「何の絵か」当てるというものでした。
そのイベントを目的にそごうに行ったわけではなく、偶然、通りかかっただけでした。
そして、小学生だった僕も、参加することにしました。
手塚治虫さんは大きな模造紙にすいすい絵を描いていきます。
それが、「さかさ」に描いているのです。
何人かの子どもたちが挙手をして答えを当てようとしましたが、当たりませんでした。
4人目ぐらいに、僕が手を挙げているのを、当ててもらいました。
そして、正解しました。
正解が何だったのかは、もう覚えていません。
正解の景品として、手塚治虫さん直筆の絵が描いてあるその模造紙をもらいました。
その後、その模造紙は、僕の家の子ども部屋の壁にはられました。
子どもの頃のことですから、手塚治虫さんの絵の値打ちなんて、分かるはずがありません。
自分もその模造紙にどんどん落書きしていき、模造紙は絵でいっぱいになりました。
なつかしい思い出です。
手塚治虫さんは宝塚出身なので、兵庫の偉人として、今では道徳の教科書などでも取り上げられています。
ただ、ほんとうの手塚治虫さんのすごさというのは、そういう教科書的なものではなかなか伝わってきません。
「手塚治虫、すげー!!」と本気で驚くのは、別の漫画家の視点から彼を見たときです。
いろいろな漫画家が手塚治虫さんのことを描いていますが、特に、藤子不二雄の「まんが道」は有名ですね。
藤子不二雄があこがれた手塚治虫のすごさが、伝わってきます。
最近、また、手塚治虫のすごさを抜群の鮮度で伝えるマンガに出会いました。
中古で偶然手に取ったのですが、あまりに面白くて、その後の巻もネットで取り寄せて、今読んでいます。
『チェイサー』(1) (ビッグ コミックス)
(コージィ 城倉)
手塚治虫と同時代を生きた、架空の漫画家の物語です。
「手塚治虫を追いかける」という意味で、タイトルが「チェイサー」となっています。
時代の臨場感が、ハンパありません。
昔懐かしいものが、次から次へと出てきます。
昭和の時代をある程度知っている人なら、懐かしくてノスタルジーにひたりながら、読めると思います。
「アトムのグラスとか、うちの家にも、昔あったなあ」などと、感慨にふけりながら、読んでいます。
昨日は5巻を読みました。
その中に、こんなセリフがありました。
・子供たちのハートを掴むのは、「勢い」であり、「迫力」です!
子供っぽいことから逃げないで下さい
(5巻p46、主人公の漫画家の担当編集者の言葉より)
昨日のブログで、
「自分はバカでいい」ということにOKが出せるかどうか
ということを書いたので、昨日の僕に、この言葉が引っかかってきました。
手塚治虫さんのことを言っている場面ではなく、
むしろ逆に、手塚治虫さんのマンガにはインテリジェンスがあるけれど、それとは逆に、バカなことを描けばいいんだ、ということを、当時の「週刊少年ジャンプ」の編集者が訴えている場面です。
僕の世代はほとんどみんなが「ジャンプ」を読んでいた世代です。
たしかに、子どもたちはみんな、「ジャンプ」の勢いや迫力に夢中だったなあ、と思います。
手塚治虫さんはたしかに偉大な「マンガの神様」ですが、この『チェイサー』は単なる手塚信奉に終わらず、全く逆のもの、アンチテーゼにも満ちているのが面白いです。
特に、僕は子どもたちに日常的に接する仕事をしていますので、ここの編集者のセリフは、自分にとっても、大事なことだなあ、と思ったのでした!
(たぶん関連すると思う過去記事)
▼「ミュージカルのような授業」 ~マンガ家矢口高雄さんの体験より
(2014/03/29の日記)