現場視点のインクルーシブ教育 ~『かかわりの中で育つ通常学級『自立活動』の発想による指導』
現場視点のインクルーシブ教育の本が増えてきています。
僕がインクルーシブ教育について知った20年前にはまだ言葉自体もさほど知られていなかったことを思うと、隔世の感があります。
20年前に僕は、組合の学習会で「世界の潮流はインクルーシブ教育です」と熱く語られ、「そうなんだ!」と目を輝かせました。
「障害を理由に分離しておいて統合しようとするのはインクルーシブ教育ではない。そもそも分けないことだ」と教わりました。
いろんな子が通常学級の中にいる、それが当たり前。
そのことをふまえると、インクルーシブ教育とはまず第一に、通常学級の場の中で行われるべきものです。
最近拝読したこちらの本は、通常学級の中でどんなふうにして「気になるあの子」が一緒にやっていくかを、「自立活動」の観点から書かれたものでした。
『通常学級『自立活動』の発想による指導 (つなぐ・つなげるインクルーシブ教育)』
(土居 裕士、学事出版、2021/10、税別1600円)
通級指導などで行われている「自立活動」は通常学級の場の中で十分できるものだと提案されている本書は、今までにありそうでなかった本であり、非常に画期的な提案を含んでいます。
現場視点に貫かれた本です。
大変参考になるエピソードが、具体的に収録されています。
今現場で困っている方に最適な参考書になることを、受けあいます。
特に印象的だったのは、シャツが出たままで無頓着な子どもに対して「おっ!シャツ王子!」と声をかけるシーン。
土居先生は、「”子どもも、教師も、困難さと上手に付き合っていこう”という発想」「困難なことを面白がるということ」と表現されています。(同書p63)
こういう発想が、本当に大切だなあ、と思いました。
特別支援教育で著名な先生方には、こういった発想をお持ちの方が多いです。
単に「障害」に向き合うときの考え方というより、もっと広範囲に、さまざまな起こりうるトラブルや困難に対して、目を吊り上げて正面突破するのではなく、笑いながらさわやかに対応するという軽やかさが大事なのだと思います。
問題をあまりにも問題としてとらえすぎてしまうと、問題が問題として固定化されてしまう、ということがよくあります。
ユーモアをもって、明るく楽しく、問題を「無問題」に変えていきたいですね。
さて、学校生活の大部分が授業ですので、授業におけるインクルーシブ教育をどう進めるかにも、少しだけふれておきたいと思います。
授業におけるインクルーシブ教育こそ、もっとも子どもたちが直面している「問題」です。
これを明るく軽やかに解決できれば、日本中のインクルーシブ教育は、成ったも同然です。
これについては、僕は「1人ではできないことでも、みんなの中でならできる。子どもの力を借りることだ」ということを強く思っています。
そういう意味で言うと、いわゆる「協同学習」という形態が、特にインクルーシブ教育を進めていく上では望ましいと思います。
(上越教育大学の西川純先生は、似たような概念で『学び合い』ということを提唱されています。)
本書の中でも協同学習のことはふれられていますが、協同学習を実施する上で先んじて行うべきことが、本書では強く訴えられています。
それは、「協同の精神」です。
・共同の精神とは「自分の学びが仲間の役に立ち、仲間の学びが自分の役に立つ」というものです。
これを折に触れ、何度も何度も共有していきます。これは絶対条件です。
(p93)
「この精神あってこその、協同学習である」という主張に、強く共感しました。
アドラー心理学では、「幸福とは、貢献感である」ということが言われています。
相互に幸せを分かち合うクラス集団は、お互いがお互いに貢献し合い、協同して貢献を行っていけるクラス集団であると思います。
「何のために学ぶのか」が、自分のためであっては、協同学習は成り立たないのです。
本書で書かれているような通常学級におけるインクルーシブ教育を考えることで、社会全体の望ましい姿も、その先に見えてくると思います。
日本中のインクルーシブ教育実践が今後ますます進んでいくことを、心より願っています。
▼気持ちの切り替えが苦手な子には、パペット
(2021/10/18の日記)
▼二見妙子『インクルーシブ教育の源流 1970年代の豊中市における原学級保障運動』
(2018/08/12の日記)
▼「インクルーシブ教育」を考えるテキスト『「みんなの学校」をつくるために』
(2020/07/25の日記)
▼インクルーシブ教育について考えさせられる新聞連載「眠りの森のじきしん」
(2020/05/17の日記)