「ゲーム」と「きょういく」3~東大教授とCESA会長の対談内容
このシリーズ、「2」まで書いたのに
そのあと、しりきれとんぼでした。(^^;)
今日は、「2」の続きです。
「ゲーム脳」についての
「教育家庭新聞」2008年1月1日号の記事。
この新聞は、今年の8月の県教育委員会のICT研修の場で
置いてあったものです。
県教委主催の研修会場に、「ゲーム擁護論」ととれる
新聞が置いてあることに、驚きました。
時代は、確実に変わっていっていますね。
以下、その新聞からの転載です。
東大教授とCESA会長の対談を転載しながら、
あいだに僕のコメントをさしはさみます。
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「教育家庭新聞」2008年1月1日号
(#マーク以下緑色文字は僕のコメントです。)
CESA(社団法人コンピュータエンターテイメント協会)会長・和田洋一氏と
東京大学大学院情報学環教授・馬場章氏の対談 より
・「ゲーム」には日本人の隠された本質である
勤勉さや遊び心、ものづくりに対するこだわりがよく現れている。(馬場氏)
・日本が世界の家庭用ゲーム産業の発展を牽引してきた。
これは、日本人が極めてものづくりに長けていることの証明(和田氏)
#ものづくりの究極としての「ゲーム」。
これは僕も思います。
僕はマンガを描いたりするのにも興味がありましたが、
自己表現欲求の最終的な出口として選んだのは「ゲーム」でした。
中学校で「ゲームブック」という本型のゲームを作り、
高校でPCのプログラミングを利用したゲームを作りました。
ゲームは「ものづくり」の欲求を具体化する最高の場ではあります。
映像・音楽・シナリオ・企画など、すべての総体としての総合芸術です。
●「ゲーム脳」危惧しているのは日本だけ
・学問的に見ても間違った表現。
・外国で「Game Brain」と表現すると、
「ゲームをプレイすることで脳が発達する」という意味だと誤解されるくらい。
・大学で教えていると、非常に歴史に詳しい学生に出会う。
彼らの知識は実は、本ではなく、「ゲーム」で知識を習得していることが多い。
しかも、かなり正確で深い知識。
(・3点:馬場氏)
#「歴史オタク」は歴史シミュレーションゲームによって
多数生まれましたね。(^^;)
「三国志」「信長の野望」あたりから、
中国の歴史、日本の歴史にのめりこんでいく可能性は大変高いです。
興味はさらなる知識へと連なり、おそるべき規模の「学習」に発展します。
完全な主体性に基づく超大規模な「学習」が始まります。
おしむらくは、「受験」などでは幅広い知識が要求されるので
「受験」対策としては非効率ですが。(^^;)
・子どもと保護者のコミュニケーションの中で、
どんな「ゲーム」とどのように付き合えばいいのか、
ひとりひとりが考えていくことが理想。
「ゲームは1日に何時間」と決めるのは、
それほど意味がない。(馬場氏)
・「ゲーム」と、もっと前向きに知的につきあっていくスキルを
身につける必要がある。(馬場氏)
●各国で進む「ゲーム教育」
(具体例 略)
#世界では、大学や研究機関を挙げて、
ゲームクリエイター養成などにつながる教育が、かなり進んでいるようです。
日本はその点、遅いですね。(^^;)
●「ゲーム」でテクノロジーを”学ぶ”
・テクノロジーを学ぶ素材として
「ゲーム」を学校教育の中に位置づけるべき。(和田氏)
・学校教育に「ゲーム制作」を取り入れることは、
重要なキーポイント。(馬場氏)
・「ゲーム制作」は、絵の得意な子、プログラミングの得意な子、
シナリオ作りの得意な子、そして全体の工程を管理する子など、
様々な個性が生かされる、協調学習の場ともなる。
海外では「ゲーム制作」をとおし、
さまざまな学校教育の可能性が生まれている。(馬場氏)
・(日本の)今後の課題として、
問題解決型の情報教育も考えていきたい。(馬場氏)
#「ゲーム制作」は様々な個性が生かされる、というところ、
本当にそうです。
実際にゲーム会社で制作にかかわらせていただいた2年間で
それは本当に実感するところです。
学校現場でも、みんなで1つの壮大なゲームを作ったり、
または演劇を作ったり、といったことが、
それぞれの個性を生かすという面で、かなり有効な教育活動になるだろう
と思っています。
こんなことを偉そうに書いている僕の今後の実践が待たれるところです。(笑)
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今回は、ここまで。
「ゲーム」と「きょういく」、
たぶん「4」も書きます。
いつになるかな?(^^;)
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