「中絶、不妊強いられた夫婦の半生が映画に」映画「沈黙の50年」
昨日のブログは映画の話でした。
#すずめの戸締まり
本日も、映画の話です。
ただ、今回の映画は上映前の映画の話。
今朝の神戸新聞に載っていた記事に、目を奪われました。
「中絶、不妊 強いられた沈黙」という大きな文字の柱が僕の目に飛び込んできました。
(神戸新聞、2024/4/29朝刊社会面(23面))
兵庫県明石市のご夫婦の半生をもとにした映画が、この5月4日に神戸で初上映されるという記事でした。
ネット上でそのWeb版を見ることができます。
▼授かった命、何の説明もなく奪われた 中絶、不妊強いられた夫婦の半生が映画に 5月に神戸で初上映
(神戸新聞NEXT、2024/4/29記事 ※会員限定記事)
旧優生保護法のもと、やっと授かって喜んでいた命を、説明もなく奪われ、その後子どもを授かることもなくなったというご夫婦の話に、「自分がもしこの立場だったら・・・」と思いました。
優生保護法自体は、今は失効していますが、「子どもを産み育てる権利」というのが現代の日本社会でちゃんと守られているのか、みんながそれを認識しているかというと、僕は危うい気がしています。
優生保護法については、NHKのものが詳しいと思いますので、そちらへのリンクを貼っておきます。
▼旧優生保護法について
(NHKハートネット)
なお、上の法律の説明ではあまり出てきませんが、「親に障害があるんだから、そもそも子育てが自分たちでできないでしょう」という考え方も、社会に根強くはびこっているように思います。
これもまた、障害者への差別にほかなりません。
20年ほど前ですが、障害のある保護者に対して「親として親の義務を果たせるのか」を心配され、「子どもを持うこと自体に反対だ」と仲間内にぽろっとお話された方がいらっしゃいました。
僕はそのときに「子育て支援は親だけでなく福祉などのいろいろな領域でいろいろな人が関わっておこなっていくものである」ということをその方にお話ししました。
その思いは、今も変わっていません。
そのためにも、みんなで知り、みんなで考えなくてはいけないことだと思います。
普段はあまりこういった話をする機会自体が、ないかもしれません。
でも、話題にすることがないと、無意識の差別として、社会全体で何も変わらないまま、結局は法律はなくなっても社会的に差別されてしまうということが、残ってしまいます。
今回の映画を作られたこと自体が、大変意義のあることだと思いました。
おそらく神戸以外でも、順次、上映会が行われると思います。
ぜひ、見ておきたい映画です。
▼映画「沈黙の50年」公式サイト
https://aboutme.style/chinmoku50.m
▼映画製作の支援を求めるリーフレット
https://ida-hp.normanet.ne.jp/tinnmokuno50nennri-huretto.pdf