細川貂々『生きづらいでしたか? 私の苦労と付き合う当事者研究入門』
いろいろなことを気にしすぎて、たまに気持ちがしんどくなります。
胃が痛くなって、つい先日は結婚記念日で外食を予定していたのに、朝からなかなか食べられずにいました。
そんなとき、細川貂々(てんてん)さんの本を読みます。
かる~く読める、ゆる~い感じの、リラックスできる絵柄。
それでいて、「生きづらさ」に寄り添ってくれる本をたくさん描かれています。
気持ちがほっとして、自分の弱さを肯定してくれた気になり、救われる気持ちになります。
今日は、そんな本の読書メモを書いていきます。
『生きづらいでしたか? 私の苦労と付き合う当事者研究入門』
(細川貂々、平凡社、2019、1200円)
↑上の本、「当事者研究」という言葉にビビッときて、購入しました。
「当事者研究」というのは、「べてるの家」の言葉です。
当事者が、自分のことを研究するのです。
「べてる」については話すと長くなるので、2006年に僕が訪問した際の記事をお読みください。
▼北海道 5日目 「べてるの家」来訪
(2006/08/24の日記)
貂々さんのこの本では、「べてるの家」の向谷地生良(むかいやちいくよし)さんも登場されます。
本書の中で、向谷地さんは、次のようなことを言っておられます。
・「弱い所があるのが人間だからね
私なんか 自己肯定感が低いのは健康的だと思ってるんです」
「人間というのは
ネガティブ要素を背負って生きていくわけだから
そういうのをごまかして
”人間てスバラシイ”
っていうのは逃避だと思う」
(p67、向谷地生良さんの言葉)
「自己肯定感が低いのは健康的」という、僕が思っていたのとは全く逆のことを真っ正面から言われたことに、まず驚きました。
僕は、「自己肯定感が低いのはだめだ・・・」「自己肯定感が低い自分はだめだ・・・」と思い続けてきたのです。
そういえば、弱さを強さに逆変換するような、こういった「べてる」の考え方が好きで、よく「べてる」の本を読んできたのでした。
最近また、弱いということや強いということについて、いろいろ考えています。
結局、弱い自分がありのままの自分なら、それを受け入れろということなのかな。
逃避グセは、なかなか、なおりません。
しんどい人間関係があると、そこから逃げてしまいたくなる。
そんなことばかりです。
本書には、べてるの家の向谷地生良さんだけでなく、川村敏明さんも登場されます。
川村敏明さんは精神科医です。
川村さんは次のように語られています。
・「僕は患者さんから
いろんな可能性を奪わないってことが大事だと思うんです」
「患者さんも悩んで
友だちとシェアして
共に生きることへの手ごたえを感じないと」
「自分たちの問題を
ちゃんと自分の言葉で語れる力を持つことが大事だと」
「一番おもしろいのは 病気が治るよりも 人と人の成長です」
「その人にどういう役割が与えられているか」
「せっかく生きてきたのだから
その人にふさわしい役割があるはず」
「病気の人は病気を通して
何か役割を果たしてるんじゃないかって思うんだ」
(p79、川村敏明さんの言葉)
このブログを通して、いまこうして本書の読書メモというかたちで、自分の思いやしんどさを出しているのも、もしかすると、「シェアしている」ことになるのかもしれません。
なかなか、弱い自分を口に出すことが、できないでいます。
せめて、こういった書き物のなかででも、ありのままの自分に近いものを出せたなら、それはそれで、いいのかもしれませんね。
おもしろいのが、僕がずっと考え続けてきた「共に生きる」ということが、川村さんの言葉の中にも出てきたことです。
「共に生きることへの手ごたえ」
僕は感じられているのかな。
もちろん、いっしょにいろんなことをさせていただいている方々が、何人も、何人もいらっしゃるのですが。
#いつもお世話になっております。
その関係に「手ごたえ」を感じるべく、まず、自分自身が自分自身の問題に対して、アクティブに関わっていかなければならないな、と思っているところです。
今日はなんだかとりとめのない話になりました。
聞いていただいて、ありがとう。
▼発達障害、パニック障害、うつ病等の当事者からのメッセージ
(2008/12/16の日記)
▼自己のアイデンティティを言い切るということ(例「明治ですから!」)
(2006/09/07の日記)