「書くこと」の代替手段を当たり前に使える世の中にしよう!
昨日は、スマホの音声入力やフリック入力で、スマホからブログを書きました。
これだけで終わってしまうと、「きょういく」の話にならないので、今日は、前回をふまえた、「きょういく」の話です。
カンのいい方はお気づきかもしれません。
そうです、これらは、「書くこと」の代替手段のバリエーションなのです。
子どもたちの中には、紙に鉛筆で文字を書くことが非常に苦手な子たちがいます。
「読み書きが苦手で、通常学級の学習についていけないので、特別支援学級で学習したらどうか」と言われている子どもたちもいるようです。
(この言葉は、ツッコミどころが満載なのですが、長くなるので、ここでは深入りはしません。)
その子たちに、
「書けないなら、書けるようになるまで、努力しろ」
と努力を強いることが、はたして教育なのでしょうか?
僕はこう思います。
「紙に鉛筆で文字を書くことにこだわらなくても、いいのではないか」と。
「読み書き」は手段であって、目的ではありません。
僕たちが読んだり書いたりしたいのは、そこに目的があるからであり、
目的達成の手段として、読んだり、書いたりしているわけです。
たとえば、知りたいことや、伝えたいことが、先にあるはずです。
だから、「知る」「伝える」ための手段として、読んだり書いたりしているのではないでしょうか。
いまどき、本を読むことが苦手なので、YouTubeの動画で情報を得ているという人は、たくさんいます。
本を読めるようになるに越したことはないけれど、
だからといって、YouTubeからの情報入手を禁止するのはおかしな話で、余計なお世話というものです。
手段がたくさんあるなら、使いたい手段を、選べばいい。
「読み書き」が手段であるのなら、手段は、複数あっていい。
自分に合った手段を使えばいいのです。
そうやって多様な手段を保障してあげることで、助かる子どもたちが、大勢います。
「一律に同じやり方でやらなければならない」といったことを義務にすることは、基本的に、やめるべきだと思っています。
#日本では、2B鉛筆で1㎝方眼のノートに、見本と同じ字を書くことを繰り返し奨励される
#外国では、かなりアバウトで、自由らしい
#書くことにおいて、個性を出しちゃだめなのか?
僕が以前に書いた文章の中の言葉を再掲します。
・障害を理解し、本人に合ったやり方で読み書きを指導したり、または読み書きを代替する手段(代読や読み上げソフトの利用、音声メモの利用等)を検討したりしていくべきだ
(「読み書きに困難のある子の学習保障~通級指導担当の立場から~」、2018、自分の文章より)
その後のブログでも、何度か、具体的な「読み書きの代替手段」について、書いてきました。
▼Wordの音声入力で読書感想文
▼書くことの苦手な子どものためのiPadの文字入力(漢字の手書き、50音かな、フリック入力)
上の引用元は「読み書き障害」を想定したものになっていますが、
「障害」の有無にかかわらず、誰にとっても、
多様な手段を保障してあげたほうが、生きやすくなるのではないでしょうか。
このあいだ銀行で振込をしようとしたら、漢字でいっぱい書くところがある用紙を渡されました。
相手先の銀行名や支店名を、漢字で書かないといけない様式だったのです。
「漢字を書くことが苦手な人のことを考えているのだろうか」と、非常に残念に思いました。
そういう、「〇〇しかできない」「〇〇しか使えない」というのは、もう古いのではないですか?
今の社会人なら普通に使っているのが、パソコンなどのデジタル機器です。
そして、何よりも僕たちの生活の中で、スマホなどのデジタル機器を、普通に使っています。
それが、「通常」になっているのです。
ただ、デジタルオンリーになると、今度はそのほうが使うのが難しい、という方も、おられます。
だから、手書きも、デジタル入力も、両方使えるのが、理想的です。
「学校」というところも、まだまだ古い文化が幅を利かせていて、「紙に鉛筆で書くことしか認めない」というところも多いです。
でも、学ぶのは子どもですよね?
子どもにとって学びやすい手段があるのなら、それを使わせないことは、むしろ差別になるのではないでしょうか。
「読み・書き・計算」=「学習」だという捉え方が、いまだにはびこっています。
でも、今や社会で生活していくために、「読み・書き・計算」は、必ずしも必要ではないのです。
社会人にもなって、仕事で必要な計算を手書きの筆算でやっている人は、ほとんどいません。
電卓やパソコンを使ったほうが速いことが、分かっているからです。
デジタルツールを使ってやっていくのは、当たり前の時代になっているのです。
自力で読み・書き・計算をしなければならない必然性は、機械の進化により、どんどん減ってきています。
#機械が増えたので、読み・書き・計算をする機会が減っている
#読み・書き・計算が必要ないわけではないが、その重要度は以前より減っている
時代に合わせて、人によって、
やり方は、変えていかなければならないのではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?
▼読み書き障害についての福井県の冊子(無料閲覧可)がすごすぎる!
(2018/10/17の日記)
ご意見、お待ちしています・・・。