平田オリザ『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』
昨日予告していたとおり、平田オリザさんの、この本の読書メモを書きます。
『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』 (講談社現代新書)
(平田 オリザ)
新書なので、サイズはちっちゃいのですが、中身は濃いです。
みなさんの日々の悩みにも少し寄与するところがあれば、幸いです。
平田オリザ『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』
(・太字部分は、本の引用。
顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)
・とにかく、自分と価値観やライフスタイルの違う「他者」と接触する機会を、シャワーを浴びるように増やしていかなければならない。
(p26)
コミュニケーションって、とってもめんどくさいです。
その、めんどくさいのはなぜかというと、自分と違うからです。
自分と違うことを楽しめないと、他者とのコミュニケーションは、わずらわしくって、しかたがない。
要は、その「ちがい」に、価値をおけるかどうかですね。
僕は基本的にコミュニケーションは苦手です。
めんどくさいと思ってばかりです。
自分と違う考え方の人を前にすると、すぐに逃げたくなります。
ですが、特別支援教育の勉強をしたり、いろいろな人と出会ってくる中で、「ちがい」の価値が分かるようになり、少しずつ、「ちがい」を楽しめるようになってきました。
ちがうからこそ、向上し合える。
自分と同じような人とばかりコミュニケーションを図らずに、違う人とこそ、コミュニケーションをはかろうとする。
そのことが、人生を豊かにする、と思い始めました。
・エンパシーとは、「わかりあえないこと」を前提に、わかりあえる部分を探っていく営み
(p200)
平田オリザさんは今、兵庫県の豊岡市に来られています。
同じ兵庫県内なので、たまにお話をお聞きする機会があります。
お話の中で平田オリザさんは、「シンパシー」と「エンパシー」の話をよくされています。
一言で言うと、「シンパシー」は同情、「エンパシー」は共感かな?
「共感することが大事」というのは、教育の世界でもよく言われています。
でも、それが、なかなか難しい。
平田オリザさんは、「わかりあえないことを前提に」と言われています。
やはり、そこからの、スタートですね。
・できることなら、いい子を演じるのを楽しむほどのしたたかな子どもを作りたい。
(p220)
・まず、主体的に「演じる」子どもたちを作ろう。
(p221)
大人から期待された役割を「演じさせられている」と感じる子どもたちが多くいます。
だからこそ、いままさに必要なのは、むしろ主体的に「演じる」ことなのです。
僕は、演劇というものの教育的可能性を非常に大きなものだと感じています。
僕自身が、大学4年の時に初めて演劇に誘われて参加して、「主体的に演じる」ことで、救われました。
世の中で生きるということが、何かを演じることだとするなら、
それをちゃんと練習して、演出家からコメントをもらって、主体的に磨き上げていくことこそ、人を生きやすくするものだと思います。
「演じる」ことをマイナスに捉えず、プラスに捉え直したい、と思います。
・演劇は、人類が生み出した 世界で一番面白い遊びだ。
きっと、この遊びの中から、新しい日本人が生まれてくる。
(p230)
僕は大学4年で演劇に出会いました。
その経験が忘れられず、社会人になってからも、演劇をするようになりました。
(今はしていませんが・・・。)
人生を、遊ぼう。
演劇は、人生が、主体的な遊びだということを、思い起こさせてくれます。
↓僕が人生で初めて参加した、大学4年の時の音楽劇「星の王子さま」のパンフレットです。
このときの体験が、演じることに主体的に向かおうとするぼくをつくってくれました。
やらされるより、やっていこう!
最後に。
上の中では引用していませんが、本書には「演劇のセリフ」に関する非常に興味深い考察も書いてあり、演劇経験者としては「ほう!そうだったのか!」と、ハッとする思いで読ませていただきました。
本からも、「自分と違う他者」から学ぶことは、大きいですね。
(関連する過去記事)
▼「わかりあうこと おそれないで」~自作曲「星の王子さま」の歌詞を更新しました。
(昨日の記事です。)