よいことだけをフィードバックして増幅する ~『見て分かる困り感に寄り添う支援の実際』を読んで
年度末です。
今回は、ある1つのサイクルの終わりに意識したいことを書きます。
年度末に限らず、1時間の授業、10分間の指導など、あらゆるスパンで応用できるはずです。
少し古い本ですが、『見て分かる困り感に寄り添う支援の実際』という本があります。
『見て分かる困り感に寄り添う支援の実際 通常の学級に学ぶLD・ADHD・アスペの子どもへの手立て 学研のヒューマンケアブックス』/佐藤曉【著】(2006) 【中古】
位置づけとしては、「特別支援教育の入門書」という位置づけになるでしょうか。
「支援のありかた」について、かなり具体的に示されています。
この本の中には、いろいろな手立てが写真つきで紹介されています。
知識やスキルが不十分な人にとっては、格好の入門書になること、うけあいです。
一方で、経験が十分にある人にとっても、それぞれの具体例の背景にある「考え方」には、非常に学ぶべきものがあります。
僕が特に覚えておきたいと思ったのは、本書の第9章「保護者とともに子どもを育てる」のところです。
p157に、次のような記述があります。
〇子どもをとがめることばは 一切使わない。
宿題ノートを見て、「もっときちんと書きなさい」と責めるのをやめ、
「(上手に書けているところを指しながら)この字で書いてね」
とさりげなく言えると、子どもとの関係は変わる。
(p157より)
この部分を読んだとき、衝撃が走りました。
「そうか!モデルを大人が示すのではなく、モデルを子ども自身の中から見つけていくんだ」と気づきました。
大人は、「こうしろ、ああしろ」は、いっぱい言います。
僕も、言います。
言いたくないのに、気づいたら、言っています。
そして、子どもは、いやになります。
関係が、悪くなります。
悪循環です。
悪循環を、良循環に変えていかなければいきません。
そのために、どうするか?
よいことの種は、すでに子どもの中にあるのです。
見ようとして見れば、見えるはずです。
見つけるのです。
子どもの中のよいことを、見つけて、ただ、知らせるだけです。
それだけで、いいのです。
p165には、こんなことも書いてありました。
当然、プリントが最後まで終わらない日もある。
しかし、そういうときは、時間内にできたところまでを切り取ってノートにはった。
ノートには「できたこと」だけが残るので、宿題への嫌悪感がなくなる。
(p165より)
最後に残るのは何か、ということ。
自動的に残るままにしておいたら、
よいことも、悪いことも、コントロールできないままです。
最後に残すのは何か。
それは、決められるのです。
「できたこと」だけを残すことも、できるのです。
上に引用したアイデアは、保護者のアイデアだそうです。
こういうことを思いつくということが、「すごいなあ」と思います。
僕たち教員は、もっと保護者から、子ども本人から、学ばないといけませんね。
先ほど引用したページをめくると、冒頭に次のような言葉が、書いてありました。
教師が保護者への対応で困っているとき、
保護者は、その何十倍も「担任対応」に苦慮している。
(p166より)
自分の視点だけに偏ってしまう、自分がいます。
アドラー心理学で言うところの、「悪いあの人、かわいそうなわたし」状態です。
視点を保護者に移すことを、さりげなく、そっと教えてくれる本書は、気づきの指南書です。
いつものように、自分が特に印象に残ったところだけを引用しました
第9章だけの引用になりましたが、全体は、10章立ての本になっています。
本書全体の紹介は、紀伊国屋書店のサイトにありましたので、最後にそちらも載せておきます。
『見て分かる困り感に寄り添う支援の実際』
通常の小中学校の児童生徒の6%がLD・ADHD・高機能自閉症であるという。しかし専門性のない通常学級の先生方は子どもたちの困り感に合った支援、教育は難しい。そこでその具体的な支援をどのようにしたらよいかが、見れば分かる本。
目次
第1章 子どもが安心する環境整備
第2章 子どもが安心する規律づくり
第3章 課題と手だてのある授業
第4章 形式のある授業・保育
第5章 係・班活動と学級の自治
第6章 学級の人間関係づくり
第7章 個別支援はこうする―小・中学校
第8章 個別支援はこうする―保育園・幼稚園
第9章 保護者とともに子どもを育てる
第10章 組織支援の取り組み
(紀伊国屋書店Webサイト内、書籍情報より
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784054031524)